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「800字文学館」

食堂車ではありません

大津 隆文

 最近、電車の中で物を食べている人が多くなったような気がする。混んでいる電車で立ってバナナを食べている人がいて驚いたことがある。忙しくて食事の時間もとれなかったのかもしれないが、そこまでするのかと思った。また、空いている時間ではあったが、隣でスナックを食べながらスマホでゲームを楽しんでいる若者がいた。パリパリという音が耳触りだった。
 悲しいかな、目の前で人が何かを食べていると、こちらも空腹感を覚えツバキが出てきてしまう。車中で駅弁を楽しむというのは日本の文化だが、通勤電車は別ではなかろうか。これは食堂車ではありませんよ、お宅の居間とは違いますよ、と言いたくなる。

 今から七〇年余り前、進駐軍の兵士の振舞いに色々カルチャーショックを受けたが、その一つは神聖と思っていた机に腰を掛けることだった。日本の机が低かったせいかもしれないが、信じられない思いがした。もう一つはガムを噛みながら通りを歩くことだった。これまたなんて行儀が悪いのかと思った。
 同時に、オープンな場所で物を食べる彼らに、これまでの風習に囚われない一種のカッコよさも感じた。後年、自分も歩行者天国で歩きながらソフトクリームを食べたりして、その爽快感、開放感を味わった。

 人前で物を食べるのを慎む日本の文化は他者への思いやりだったに違いない。昔の貧しかった時代には食べたくても食べられない人が少なくなかった。そういう人の前で物を食べるというのは思いやりを欠く残酷なことで、それを慎むのは人として当然のことだったのだろう。
 幸い経済的に格段に恵まれた時代になり、お腹が空けば何かは食べられるようになった。だからといって好きな時に好きなものを公共の場で食べていいというものでもなかろう。私のように空腹感に苛まれる人間もいるのだから。
 食べることだけではない。恵まれている人は恵まれていることに心の中で感謝し、それをあからさまにすることは慎んでほしいものである。

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