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「800字文学館」

『名倉談義』 ―ある山村の聞き書き

大月 和彦

 ある読書会で民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』を取り上げた。対馬、土佐などの漁村・山村に入り込んで、村人から聞きとった生活、行事、習慣などのうつり変りを、土地の言葉を交えながら読みやすい平易な言葉で記録した名著。

 同書中の『名倉談義』は聞き書き文学の傑作だ。舞台になった名倉村(愛知県設楽町)は信州に近い奥三河の山間の寒冷地で、稲作に適さない生活に苦しい村だった。宮本は戦後3回名倉の集落に入り、明治生まれの女性や年寄りから暮らしの移り変りなどを聞きとった。

 日清戦争の頃県道が開鑿されてから村は大きく変わった。聞き惚れたシャランコシャランコという駄賃馬の鈴の音や馬子唄がなくなり、代わりに荷車と運送馬車の仕事が増え、豊橋と伊那谷を結ぶ街道沿いのこの村はにぎわった。

 食べ物。粗末だった。コメの収穫が少ないので稗が主食、干し大根などの野菜を加えた混ぜ飯だった。飢饉もあった。飢饉に備える郷倉が残っていて稗が蓄えられていた。村では米や稗を二年分蓄え、新しい穀物ができても前の年のものから食う、ヒネからヒネへと食つなぐのがよい百姓とされていた。

 女の一生。それにしても女は損だった、と老女が話す。6歳から9歳まで子守りに出され、16歳で嫁に行く。小学校へいったことはない。財産がなく無口の男と60年間一緒だった。亭主はよく働き、朝起きてから寝るまでわらじを脱いだことがなかった。笑ったのを見たことがない。当たり前と思っていた。このあたりは御幣担ぎが多く、月のさわりをやかましく言うところで、家ごとにヒマゴヤがあり、始まるとそこで一人で寝起きし、煮炊きしたものだった。

 夜這いの話。いい娘がいるとどこまでもついて行く。仲良くなるのは何でもないこと、通り合わせに声をかけ、冗談の二つ三つ云い相手が受け答えすれば気ある証拠、夜に押しかけていけばよいなど夜這い手口を詳しく語る。

 忘れられるところだった明治中頃の山村の暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。

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