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「800字文学館」

利便性向上の二面性

大津 隆文

 先日「高齢者医療の現状と課題」というテーマの講演会に出席した。講師は虎の門病院の院長大内尉義(すきよし)氏で、同氏は我が国の老年学、老年医学の権威という。お話の要旨は、我が国の高齢者の身体機能や知的能力は年々若返っているのでその定義は七五歳以上とするとともに、「高齢者」のイメージをポジティブなものとし、明るい活気ある高齢社会を築くべしとのことで、私も大いに同感した。
 お話の中で一点おやと思ったのは、高齢者の自立した生活を支援するため家電メーカーが軽量化した掃除機などを開発していることについて、フレイル(虚弱)化につながる心配もあるが、とコメントされたことである。利便性の向上が他方では別の問題を生ずるという懸念である。

 健康の維持、増進のためにはスポーツクラブへ通ったり、ウォーキングをしたりすればよいが、それにはかなり強い意志が必要となる。だから、日常生活で少し重い掃除機を使うなどして知らず知らずに体を鍛えた方がよい、というのも一理がある。しかし、より便利な製品がある時、あえてそれを選択しないことを期待できるであろうか。人は本能的に楽を求めるように思う。
 歴史の興亡を振り返ると、興隆した民族も文明の発達とともに軟弱化し、粗野だが生命力溢れる新興勢力(蛮族)にとって替わられた例が少なくない。これも利便性の向上が短期的、ミクロ的にはプラスに働くが、長期的、マクロ的にはマイナスに働く面があることの表れと言ったらオーバーであろうか。
 また、子育ても同様な問題を内包する。子供には苦労はさせたくない、という親の思いがかえって子供をスポイルし、軟弱にしている面があることは否定できない。暮しの利便性や子の幸せを求める私達の本能が、同時に私達の生物としての存在の弱化をもたらすという自己矛盾は深刻な問題である。
 日本人の身体能力の改善はこれからも続くかとの問いに対し、講師はそれは次世代への警鐘であるとして答えを控えられた。

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