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「800字文学館」

ドン・ホセの思い出

志村 良知

 ドン・ホセはバルセロナ郊外のフィルム加工会社のオーナー経営者だった。年は私と同じくらい、背は高くないががっちりしていて貫録十分。スキンヘッドの下の眼光鋭い目を見据えて、訛りの強い抑揚の少ない英語でゆっくりと諄諄と話すのが特徴だった。ワンマンであることは彼と同席中の部下達の態度を見ていればわかった。まさにドンだった。
 ビジネスのきっかけは、我々からの技術供与を希望したことで、ドン自ら交渉最前線に出てきた。エンジニアも入れての膝詰談判を繰り返したが、結局まとまらなかった。しかし製品供給では合意、大口顧客となった。

 ルーチンの商談は午後4時過ぎからと決まっていて、終わるとドンが登場し、行きつけのレストランに幹部連を引き連れて繰りこむのが常だった。真ん中の円形大テーブルに陣取り、まずハモンイベリコ・ノイエの大皿を置き、地元赤ワインのダブルマグナム(3L)ボトルを大騒ぎしながら開ける。ワインはでかいボトルの方がうまい、は彼の持論だった。
 食事の終わりに、蒸留業者のサイン入りのシングルモルト・スコッチとハバナの箱を持って来させ、ハバナを一本づつ丁寧にチェックし、彼の美学にあった硬さの一本をまず私に勧め、断るとでは私が吸うが良いか、というのが必ずの儀式だった。
 パリの展示会。よそのブースを訪問中の私に電話、「今、マフィアみたいな黒服が3人、ムッシュ・シムーラはいるか、と居座っています。すぐ戻って来て下さい」。マフィアって何だよ、と戻ってみると皆がドン一行のテーブルを怖々と遠巻きにしている。私を見ると「おお、友よ」と大げさなハグとビズー(キス)、まさにマフィアのドンであった。
 アルザスに招待した時のディナー。おもてなしでワインリストを渡した。ドンはソムリエを呼んで分厚いワインリストを繰っていく。リストにはブルゴーニュやボルドーの名品も載っている。目を上げ、にやりと笑った。南無三。選んだのは無難なアルザスだった。

ドン・ホセことMr.J.L.M.N、2002年4月逝去。合掌。

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