ナポリっ子
「ナポリを見て死ね」、エッセイ仲間の作品が、このイタリアの都市の情景とその箴言に触れていた。ナポリ湾からベスビオを望む絶景である。
リッカルド・ムーテイ来日時のNHKとのインタビューを思い出す。同世代という親密感を感じるイタリアの指揮者が自分の生い立ちについて語る。1941年、ナポリの在の村で産気づいた母親が、あろうことかナポリ行きの汽車に乗り込み、無事ナポリで出産した。斯くしてリッカルドは「ナポリっ子」になる。その家族のストーリーを相好崩して語るムーティの幸せに満ちた笑顔が忘れられない。ナポリっ子であることは、それほどに愛おしく、我々の想像を絶する感覚であるらしい。
ムーティと言えば、その風貌たるや、これぞイタリア男、強面の迫力のイメージと同時に、実に繊細な音楽性を表現する、世界の音楽界を制覇する巨匠である。クレンペラーの後のフィルハーモニアを率い、フィラデルフィア、ミラノのスカラ座で活躍、ニューヨークフィル、ベルリン、バイエルンの歌劇場等から愛され、ウィーンフィルからは特別待遇を受ける。現在はあのシカゴ響の音楽監督を務める。クラウディオ・アバドとの、またスカラ座総支配人との長期間の確執は語り草である。音楽の伝統を支えるイタリアの鬼才、家族の温かさ、ナポリの夏、と共に思い出されるのがムーティだ。
その昔、ロンドンから休暇で、ローマの南テラツィーナの漁村のホテルに二週間滞在した。背景をなす岩山の頂上には古代のアクロポリスが、街道にはローマの凱旋門が残る。小学生の子供達は連日の炎暑の海岸と浜辺の夜祭に狂喜した。しかし、妻は我慢の限界だ。私も妥協し、電車で一時間のローマ見物へ。別の日には、バスでナポリ、ポンペイへ遠足を敢行した。いまアルバムに残るのは、やはり「ローマの休日」の家族の笑顔。ポンペイの遺跡強烈さ、筑波嶺に噴煙の如きベスビオの印象は薄かったが、今ではその風景の思い出がムーティのナポリを想わせる。