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「800字文学館」

劉暁波が見た対日観

稲宮 健一

 劉暁波伝で現代中国の民族主義を厳しく批判し、今の民族主義は共産党政権の統治に若干の合法性を与えるが、中国の制度の遅滞、文明の崩壊、環境の悪化など焦眉の難題を解決する手段にならないという。植民地時代には覇権主義に抗する意義があったが、冷戦終了後の平和の時代に民族主義の喧騒は未成熟な民族の逃げ場になっているとも指摘している。

 七十年末、改革開放政策を打ち出した鄧小平の訪日は経済復興に最も必要な資金、技術、管理手法を獲得する目的のため、日中間の歴史的恩讐や尖閣諸島の紛争を棚上げして、経済支援を取り付けた。文革という閉鎖社会が明けて、一時日本ブームが起きた。高倉健主演、映画「君よ憤怒の河を渉れ」「幸福の黄色いハンカチ」や「おしん」、「鉄腕アトム」などが広く楽しまれ、黒沢明、溝口健二、小津安二郎監督と共に八十年代中国の監督に影響を与えた。

 しかし、この日中関係が暗転したのは天安門事件であった。事件後、西側諸国は一斉に退去した。中国は困ったが、日本はこの制裁を最初に解除し、大挙して企業が大陸に雪崩れ込んだ。劉暁波はこの功利主義を批判した。しかし、中国はこの日本の動きを覚めた目で見て、日本の行為に感銘することなく、逆に現状に不満を抱える民衆のはけ口を反日行動で発散させた。江沢民後期から習近平に至るまで、共産党政権にとって反日は失敗することのない錦の御旗になった。

 このような複雑な心境の中、彼は東北部の出身なので、満州国の遺産を覚えている。生まれ故郷、長春(かつての新京)では一九五〇~六〇年代、鉄道網が良く敷かれて、家庭でガスが使え社会インフラが整っていた。当時の北京と比較して格段上の生活環境だった。当時東北部で近代的な生活で暮らせたのは日本の正の遺産によってであった。
 この二つの面を見て、歴史学者劉仲敬は日本は脱亜入欧を掲げ、西欧的な秩序を輸入したが、儒家は近代文明の構築には力不足だったと評価している。

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