作品の閲覧

「800字文学館」

高野山で友を偲ぶ

野瀬 隆平

「俺、会社を辞めて高野山にいく」
 高校時代の親友Sから電話があった。サラリーマン生活もお互いに最終コースに入った頃である。

 高校では同じクラスで机を並べ、競い合った仲である。卒業式のあと大森にある家に遊びに行ったのを憶えている。ウイスキーのいいのがあるといって、一緒に「オールドパー」を呑んだ。未成年だというのに。
 勤め人時代も、仕事を終わった後、しばしば一緒に呑みに行った。当方はご多分に漏れず職場での苦労や愚痴を言うのだが、彼は違っていた。哲学的、宗教的な話を熱く語るのだ。内容も十分に理解できず、ただ頷くだけだった。
 その頃、彼は口癖のように、
「女房、子どもの生活が困らない目途がたったら、俺は出家する」
と言っていた。本気なのか冗談なのか分からず、聞き流していた。
 そんな伏線があったとはいえ、本当に実行に移すとは驚きである。一流の銀行に勤めロンドン、ニューヨークにも勤務、取締役にまでなったエリートだ。将来さらに出世することは間違いない。それをあっさり捨てて、修行のために高野山にいくという。自分には到底できない選択である。

 今、その高野山にやってきた。大阪から電車に乗って極楽橋へ。ケーブルに乗り換えて霊場にたどり着く。標高およそ850mの山の中は、さすがに下界より涼しい。二泊お世話になる宿坊に荷物を預けたあと、金剛峯寺や壇上伽藍を見て回り、近くにある「桜地院」(ようちいん)を訪ねる。ここは、友が修業に励んだ塔頭である。そう思って風格のある門前に佇むと特別の感慨がある。
 高野山での修行のあと、インドへも赴き仏の道を究めようと勤めた彼は、名前も「忠雄」から「大心」と変えて、世俗から離れた生活を始める。各所で講話をしたり本を書いたりと、仏教の教えを広めようと努めた。
 その彼も、今やこの世にいない。高野山に身を置くと、まだ俗世の迷いの中にいる自分に、「早くこっちに来いよ」との友の声が聞こえてくるような気がした。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧