『死者の書』から―万葉の世界
ある読書会で折口信夫の『死者の書』を取り上げた。名著といわれるが、昔途中で放り出したことがある小説。
8世紀、当時権勢を誇った藤原氏(仲麻呂)の姫(郎女)を主人公に、万葉集に詠われた出来事や人物を織り交ぜた幻想的な小説。
「した した した」、深い闇の中で聞こえていた岩から落ちる水の音で石室に眠る死者(大津皇子)が目を覚ますという不気味な冒頭部。
死者は持統天皇によって謀反の罪に問われ、磐余の池の堤で処刑され、二上山に葬られた大津皇子のこと。
皇子が詠んだ「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲かくりなむ」と、皇子の姉大来皇女の歌「うつそみの 人なる我や 明日よりは二上山を愛兄弟と思はむ」が引用されている。
郎女は、春分の夕方、二上山に大津皇子の俤を見、これを追って山麓にある女人禁制の当麻寺に入ってしまい、咎められ幽閉される。
突然額田子古という人物が出てきて、幽閉された郎女を助け出そうとするが、郎女は自分が犯した罪を贖うため得心するまでと、寺にとどまった。
当麻寺の本尊当麻曼荼羅は、幽閉された郎女が発心して織りあげたものと伝えられている。
当時緊迫していた百済救援問題が出てくる。新羅問罪のため官吏の一行が難波から筑紫に向かうという話を聞いた額田子古が急遽難波に向かったという條がある。
万葉集所載の、斉明天皇率いる新羅征伐の軍団が船待した情景を詠んだ額田王の歌「熟田津に船乗りせんと月まてば…」にヒントを得たのだろう。
額田子古は額田王とは無縁の著者が創った人物だ。
大伴家持が藤原仲麻呂を訪ねる場面がある。二人は長く続いた名門の氏の長、氏族を存続させるための苦労などについて話す。友好的な会話だったが仲麻呂が大伴氏一族を警戒しているのがわかった。
万葉集にある大伴氏一族の奮起を促すため家持の詠んだ「族(やから)を諭す長歌と短歌」が念頭にあったに違いない。
万葉学者でもある著者が万葉の世界に思いを込めた小説だが、やはり難解だった。