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「800字文学館」

大阪のタクシー

首藤 静夫

 大阪の友人から電話をもらった。
「今年の夏は最悪やで。温度だけとちゃうで、ねばっとしとる」
 聞くだにその大変さが伝わってくる。私は会社勤めの最後の二年を大阪で過ごした。その時は幾分かましな夏だったようで、それほど「ねばっ」と暑い経験はない。それでも会社の近くで一杯ひっかけたあとの満員電車はご免と、ついタクシーを呼び止める。長年親会社でタクシー券を浪費していた悪習の名残である。
 大阪は、中心地から郊外の家まで乗っても東京のような五千円以上という距離ではない。仮にメーターが五千円を超えるとそれ以降は半額になる。冷房で涼みつつ運転手としゃべりながらのご帰館は楽しかった。
 最初は当地の運転手気質が分らなかった。東京では、行先を告げても返答をしない、料金を払っても挨拶一つろくにできない人がたまにいる。初めての大阪暮しゆえ怖い気持が先に立ち、おとなしくいていると運転手がどんどん話しかけて来る。
(陽気な運転手だなあ、今日の人は・・・・・・)と思っていると、別の日のタクシーもその次の時も大阪の運転手は陽気である。こちらから早く話題を切りださないと先に話される。だから当方の機嫌が悪く、話しかけられたくない時はタクシーには乗れないのだ。
 陽気な訳について車中で話題に出した。答えは、
「その方が楽しいですやろ」
「いつか黙っとったらお客さんに、『お前どこか体調が悪いのんとちがうか』といわれた」
「そうでっか、こんなもんでっせ」
と反応はさまざまだった。いつぞや、家に着いて料金の支払いが済んでいるのに、話が一区切りつくまでドアを開けてもらえず、さすがにビックリした。

 大阪は昔から町人の町、庶民の町である。武家のように肩肘張って生きてきた訳ではない。道で会えば、だれかれなしに声をかける、挨拶をする、それを返す。おまけにエリアも東京の何分の一である。他人行儀なふるまいなど苦手だという文化が根づいているのだろう。

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