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「800字文学館」

志賀高原

稲宮 健一

 宮路はブナ平の上から斜滑降で曲がりながら滑っているうち、えい面倒だと直滑降、ゲレンデの下の方までそこのけ、そこのけで一直線。いごっそうの彼らしい滑り方だ。梅元は貧乏学生のくせに凝り性で、Kneisslの板を買い、ご機嫌でお宝をご披露。ここ志賀高原の宿は大学の生協で見つけた屋根裏の安い部屋に泊まり、おかずがなくなると、野沢菜だけで、ご飯のお代わりを繰り返した。屋根裏の低い天井の部屋で寝ると変な夢を見ると言われたが、それでも雪に戯れ、損得の関わらない仲間と同じ時間を持つだけで楽しかった。雪の志賀高原の五十余年程前の情景だ。

 宮路は定年後C型肝炎を患い、T社の大井町の病院で、患った患部をそっと見せてくれたのがつい先ごろだった。今なら、肝炎から肝がんに移るのが遅らせたのに。梅元はO社で中国担当になり、携帯などワイヤレスが始まる前、有線の伝送技術を教えながら、茅台酒におぼれ過ぎたようだ。北京から元気に戻ってこなかった。

 七月の終わりその志賀高原に家内と来ている。かつては上野から夜行列車で長野に早朝着き、バスで丸池まで全部満員だったが、今は北陸新幹線長野経由、湯田中からのバスは最初外国人が数人同乗していたが、モンキーセンターで皆降り、蓮池まで大きなバスに数人、バス会社が可哀そう。
 明くる日、かの雪遊びに興じた発哺温泉からゴンドラで東舘山頂上に、高山植物の公園で花に囲まれながら、山頂のベランダからあたり一面の眺望を堪能した。昼前、ガスはなく、全方向が透き通って夏の緑が眩しかった。山頂からなだらかに広がる広大な樹海の展望は時の立つのを忘れる。贅沢な空間に家内と二人とあと数人しかいない。ここも過疎だ。

 その一方、富士山を登るため、がれきしかない斜面に世界中の人が押寄せている。一方東舘山の眺望はスイスのアルプス展望と甲乙がつけがたい。もし、山頂のベランダにリラックスできる空間と美味しい料理が揃えられれば、間違いなく過疎が吹き飛ぶ。

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