「二つ」は「一つ」
板張りの広い廊下を進む。右側には畳敷きの広間が次々と現れ、ほのかに見える奥の襖絵に目を凝らす。
突然、廊下の先に視界が開け、庭の広がりが目に飛び込んできた。「蟠龍庭」と呼ばれる金剛峯寺の石庭である。
縁側に腰を下ろしてじっくりと眺める。立札には、この庭園が我が国最大の石庭であるとの説明のあとに、次のように書かれている。
「勅使門より観るに左に雄龍 右に雌龍を配して 金胎不二を表わす、云々」
成るほど、敷き詰められた砂に浮かぶ石の数々は、二頭の龍を表わしているのだと理解する。しかし、それに続く「金胎不二」とは、一体どういう意味なのだろう。真言密教に係わる言葉であろうが、よく分からない。
あとで調べてみると、こういうことらしい。先ず読み方は(こんたいふに)。「金」は金剛界のことで、ダイヤモンドのような確固たる大日如来の「智恵」の世界を表わす。一方の「胎」は胎蔵界で、母親の胎内のような「慈悲」の世界。本来、両方が揃って初めて完全な一のものになるという思想で、これが大日如来の本当の姿であるという。
高野山の聖地、壇上伽藍に建つ三つの塔も、この考えに基づく次の様な説明で、成るほどとすんなりと頭に入る。
西のはずれにある「西塔」は金剛界を象徴するもので、これに呼応する「東塔」は胎蔵界を象徴するもの。その真ん中にある「根本大塔」は、これら二つを合わせたもので、「金胎不二」を表わすものだという解釈である。
しかし、これとは異なる解釈を示しているものもある。最初に建てられた「根本大塔」が胎蔵界を表わし、次に「西塔」が金剛界の象徴として建てられたというものである。「東塔」の建立が、他の二つの塔と比べて三百年ほどあとであることを考えると、歴史的に見てこちらの方が正しいような気もする。
ちなみに、金剛峯寺の広間に掲げてある曼荼羅図は、弘法大師の御影を中心に、左側に「金剛界曼荼羅図」が、右側に「胎蔵界曼荼羅図」が掲げられていた。