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「800字文学館」

称徳天皇の寺

首藤 静夫

 大和西大寺駅は、大阪や京都と奈良をつなぐ近鉄の代表駅である。幾度となくこの駅を利用したが、西大寺という寺院は無頓着でいた。
 寺歴には称徳天皇(女帝)の勅願寺とある。彼女は聖武天皇と光明皇后の間の唯一の成人子として聖武のあとを継ぎ、二度帝位に就いた。最初は孝謙天皇として即位、一旦上皇に退いたが藤原仲麻呂の乱の後、彼に担がれた淳仁天皇を廃して帰り咲いた(称徳天皇)。

 仲麻呂は光明皇后が叔母、称徳帝が従妹にあたる藤原南家の政治家だ。光明皇后に取り入って権勢の座につく。女帝は光明と仲麻呂の横暴に泣かされた。早々と上皇に退くが仲麻呂の策謀だっただろう。
 このまま終われば平凡な一女帝だが彼女は違った。母の光明亡きあと仲麻呂と真向から対決、彼に反乱を起こさせ、戦いとなるや一気に葬りさり政権復帰を果たす。道鏡、吉備真備などの名参謀がついていたにしろ、見事なリーダーシップである。その彼女が、仲麻呂の乱勃発と同時に国家鎮護のため勅願したのがこの寺である。

 広大な境内だが何か物足りない。中心となるものがないのだ。本堂以下の主要伽藍はほぼ揃っているのにインパクトが弱い。
ふと、本堂の前に基礎部分のみが往時をとどめる五重塔跡を見つけた。高さは46メートルあったという。それも東西に二基。これこれ、この寺の広さには壮麗な塔こそが相応しい。だが、二基ともその後、落雷や兵火で焼失、復興されないまま今日まで放置された。東大寺大仏殿や興福寺の五重塔が何度も再興されたのとは対照的である。
 藤原仲麻呂は滅んだが、藤原氏は称徳帝亡き後、桓武帝と結んで平安京で躍進する。壬申の乱以降奈良時代を通じて、天下は勝者・天武天皇系で独占されてきた。天智天皇の子孫である桓武とそれを担ぐ藤原氏にとり、天武系最後の称徳帝が勅願した寺など見向きもしなかったのか。
 彼女は道鏡との間にあらぬ醜聞まで広められ、新たな勝者が作りだした歴史の闇に沈んでいる。

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