ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンを行く(1)
成田を飛び立ったウズベキスタン航空の飛行機は一直線に西へ。やがて中国の西の端、新疆ウイグル自治区上空に達した。
見下ろすと、砂漠の先に雪をかぶった天山山脈が見える。昨年、西安から敦煌、トルファン、ウルムチとシルクロードをたどったことを思い出す。
今回は天山山脈の西及び北、いわゆる天山北路といわれるルートをたどる旅だ。ちなみに唐の時代、中国からインドに入った玄奘三蔵はこの天山北路を通ったと伝えられる。
ウズベキスタンのサマルカンドに降りバスでタシケントまで、タシケントから空路キルギスのビシュケクへ、そこからまたバスでカザフスタンのアルマティなどを廻る8日間の行程であった。
この地は遊牧・騎馬民族が活動した地域である。スキタイ人から始まり、匈奴、突厥、ウイグル、モンゴルなど歴史の局面ごとに多くの民族が興亡した。そしてオアシス都市を結ぶシルクロードを通じて東西の文化交流の役割を担ったのである。
旅の途中、村の青年たちによる騎馬ショーを見たが、馬の背で時には両手を離しても自在に操り疾走する姿はまさに騎馬民族を彷彿させた。
シルクロードを通じて中国産の絹がヨーロッパへ運ばれたのはもちろんだが、インドの仏教や仏教美術がこの道を通って中国に伝わったことでも知られ、敦煌などには多くの仏教の遺跡が残っている。しかし今回訪れた地域には仏教関係の遺跡がほとんどないことに驚き意外だった。わずかにキルギスで大仏が見つかったらしいが、それもロシアのエルミタージュへ運ばれてしまったとのことだった。もともとなかったのか、もしくはイスラムによって破壊されたのか。
サマルカンドはティムール帝国の首都であり、モスクや霊廟など多くの遺跡が見事だったが、その他の都市では遺跡らしいものはあまりなくバザールに昔の生活の名残りを見る程度だった。
しかしユーラシア大陸の中央部、日本人に最もなじみが薄いと言われる国々を直に肌に感じて旅した意味は大きかった。