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「800字文学館」

板谷波山をご存知ですか

大津 隆文

 去る十月、茨城県下館に板谷波山記念館を訪ねた。板谷波山(明治五年~昭和三十八年)は日本の近代陶芸の先駆者であり、陶芸家として初めて文化勲章を受けた人物である。私は陶芸については門外漢だが、私が一員である「昭和十五年生まれの会」のメンバーに波山の孫がいて、その縁で見学の機会を得た。
 展示室には花瓶、茶碗、皿等の作品が陳列されていたが、波山の特色は葆(ほ)光という光を包み込んだような美しさにあるという。たしかに作品がぼうっと光を放っていて、玉(ぎょく)でできているような感じがした。また、東京田端にあった工房を移築した作業所があり、ここでは制作の過程や苦労、苦心を身近に感じることができた。
 見学を通して波山の作品と生き方から強い感銘を受けた。それは無名の貧乏暮しの中でも努力を重ね、妥協をしない強い芸術家魂を持ち続けたことだ。作品は納得のいくもの以外は皆割ってしまい、生涯で千個程度しか残していないそうだ。
今回の展示品の中に一名「命乞い」という茶碗があった。彼がまさに割ろうとした時、居合わせた出光佐三氏が「待て!」と救ったという。また、「玉蘭」という波山夫人の銘が入った作品が二点あった。これは夫人が自分の作品として持ち出し生活費に充てたのではなかろうか。
 同時に、世に出る前の芸術家にとってパトロンの存在がいかに大切かを感じた。波山の場合は住友家第十五代当主友純氏や出光佐三氏がその作品を評価し後援している。昔は貧富の格差が大きかった一方、大金持ちが優秀な芸術家を支援したり、美術館や博物館を残している例が少なくない。現在の社会ではこうした役割を誰がどう果たしているのであろうか。
 波山はその号が筑波山に由来するように故郷を愛する人だった。長年、古里下館の高齢者には鳩杖を、戦没者の遺族には香炉や観音像を贈っていたとの逸話に深い感銘を覚えた。
 下館からの帰路は常総線、車窓からは悠然と筑波山が見えた。

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