日本まで来てしまったフェルメール
上野でフェルメール展が開かれている。 フェルメールの絵を初めて見たのは1980年代半ば、出張の合間の休日、アムステルダムの駐在員と行った国立美術館だった。巨大なレンブラントに感心している私を「こっちの絵こそオランダの宝物だよ」と『牛乳を注ぐ女』の前に引っ張って行った。その時の印象は、細かく丁寧に描かれたスナップショットのような絵、というものだった。今でも『牛乳を注ぐ女』はフェルメール30数枚の中でもひときわ気合が入った作品であると思う。この絵は今回も来ているが、私の知る限りでも二度目の来日である。
私にとって日本に来たことが衝撃的だった絵が二枚ある。どちらの絵もミシュランの三ツ星同様そのためだけに出向く価値ありと、その絵がある都市まで見に行ったので来日は嬉しいとともに若干悔しい出来事であった。
一枚は、2004年来日の『絵画芸術』。1997年、最初にウィーンに行った時は修復中で展示されておらず、2年後に足を運び直した。さらに2001年、13枚を集めた史上最大のフェルメール展にも主役級で展示され、ロンドンまで見に行った。
二枚目は『真珠の耳飾りの女』。これもチューリップに合わせてであるが、デン・ハーグなどという首都といえども田舎町に宿泊して二日間に亘り克明に鑑賞した。それが2012年のマウリツハウス美術館の改修一時閉館を機に来日したのである。その後、マウリツハウス美術館はこの絵の「門外不出」を宣言したらしいが当然であろう。あそこまで行ってこの絵が無かったら、ルーブルに『モナ・リザ』が、ウフィツィに『春』が無いより悲惨で、がっかりでは済まない。
フェルメールの描く若い娘たちの周りには、西洋絵画の約束事での「外界(男から)の誘惑」が丹念に描きこまれている。娘たちもそれを積極的に受け入れ飛び出そうとしている。しかし、まさか当時のオランダが知り得た最も遠い東の果てまで行こうとは思っていなかったであろう。