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「800字文学館」

青蓮院門主の宗教論を聴く

池田 隆

 青蓮院を訪れ、門主から寺の由緒や宗教政策の持論について話を聴く機会を得た。
 本寺は平安後期より皇室や五摂家出身者が歴代の門主を務める天台宗の門跡寺院である。「愚管抄」の著者慈円が門主を務めていた鎌倉初期が最盛期で東山一帯が寺領であったという。
 江戸期に入ると徳川幕府が浄土宗の本山である知恩院を二条城の予備軍事拠点として拡充し、隣り合う青蓮院の寺領は大きく削られる。
 幕末には孝明天皇の側近、中川宮(久邇宮朝彦親王)が門主を務めた。彼は長州嫌いの公武合体派公家の領袖であったため、維新直後は一時期広島に幽閉されるが、西郷の尽力で伊勢神宮の祭主として復権する。
 その子息二人が香淳皇后の父である久邇宮邦彦王と終戦直後の東久邇宮首相である。したがって香淳皇后の弟を父にもつ門主にとって、中川宮は曽祖父になり、平成天皇は従兄弟にあたるとのこと。

 門主の語り口は徐々に熱がこもる。江戸幕府が始めた檀家制度が災いし現仏教界は葬式仏教に陥ったと苦言を呈し、明治政府が行った神仏分離令や廃仏毀釈などの宗教政策をつよく非難する。
 彼が言うように明治政府が推進した一神教的な国家神道が近代日本の政治社会を大きく歪めたのは間違いない。廃仏毀釈など狂気の沙汰であった。だが江戸期まで続いた本地垂迹説の神仏習合については、これまで私は姑息で胡散臭く思っていた。
 しかし門主の話を聴くうちに、神仏習合こそが天皇家の興隆期に親仏派の渡来系豪族と排仏派の土着系豪族の間の政治宗教対立を鎮める最高の知恵に思えてきた。その後の千数百年間、歴代天皇も民衆も一緒に神仏を合わせ拝み、わが国では神仏間で醜い宗教戦争は生じなかった。それは素朴な祖先神・多神教のアニミズムと深遠な仏教思想を巧みに融合させた先人の功績と言えよう。
 最後に門主は政教分離廃止論にも言及するが、今の政治家の倫理観や道義心の欠如を見ていると、これも頭から否定できない思いに駆られてくる。

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