『梅にウグイス』考
2月になると熱海や湯河原の梅林は春を待ち望んでいる人々で賑わっています。
『梅一輪 一輪ほどの 暖かさ』」(服部嵐雪)という句や、取り合わせのいい例えで『梅に鶯』ということわざもあれば、文部省唱歌に春の訪れを祝う『梅に鶯』という歌があります。まさしく「梅に鶯 ホーホケキョ」と言いたいところです。
確かに、春を告げる花は梅、鳥は鶯ということですが、鶯が梅の花の蜜を吸っている姿を見た人はいないでしょう。なぜなら鶯は虫を食べる鳥ですから、蜜を吸うために梅の花の咲く頃には寄り付きません。
「いや、俺は確かに鶯色の鳥が蜜を吸っているのを見た」という人は、それは鶯ではなくメジロを見たのです。メジロは梅の蜜が大好物ですから。
奈良時代の人々はよく自然を観察していたようです。万葉集には梅と鶯を詠んだ歌は12首ありますが、梅の花に鶯とは誰も詠んでいません。
「梅の花 散らまく惜しみ我が園の 竹の林に鶯鳴くも」(阿氏奥島)(梅の花を散るのを惜しんで、私の庭の竹の林で鶯が鳴いています)と、あります。
鶯は警戒心の強い鳥ですので、めったに人間の前に姿を見せることはありません。多くは竹藪で身を隠しているのです。但し、梅の花が散り、葉が茂って見通しが悪くなると梅の木に青虫を食べに来ます。
もう一方の梅は、花、香り、果実の三拍子が揃っており、庭や公園に植えられていますし、果樹としても全国各地に産地があります。
さらに、菅原道真が大宰府に左遷されたとき、「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ」(春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな)と詠みました。それに応えてこの梅の木は、道真公を追って大宰府天満宮まで飛んでいったという飛梅伝説があります。そんなことから花言葉に優美、気品のほかに忠実というのもあります。