南禅寺
昨秋の紅葉の記憶が新たな中、正月にロスから単身帰国の息子と親子三人、冬の京都を再訪した。交通混雑を避け、六日の午後、定宿で一服、タクシーで南禅寺に向かう。「南禅寺、よろしなぁ。楽しめますよ。おカネ掛かるさかい方丈へ上がらんでもよろし、琵琶湖疎水はしっかり観て下さい」。息子がロスからと知るや、運転手は去年行ったと、G・キャニオンのスマホ映像を見せ感動を語る。京都のタクシーは外交官だ。私はG・キャニオンへ行った事はないが見たことはある。デンバーからロスへのフライトが真上を飛ぶ、その迫力たるや名状し難い。高度三万フィート、地平を覆う広大な赤茶けた岩盤を這いまわる錯覚に襲われた。機長も、眼下の亀裂の深さが二マイルに近いと興奮する。
「今晩、お食事でお腹壊さんよう生ものに気いつけて。京都は六日の今日まで市場が開かないので」。私が、ポルトガルの造船所幹部らを接待して南禅寺の湯豆腐料亭に行った昔話をする。「湯豆腐よろしいわ、是非行きなはれ」。湯豆腐は嫌いだと妻の合いの手は無粋だ。奇異な湯豆腐を味わう外国人。心配ご無用、実は料亭ではその鍋を素晴らしいシャブシャブに変える用意があり、大満足頂いたのが真相だ。
寺は正応四年(1291)亀山法皇の離宮から臨済宗南禅寺派の大本山として創建され、五山最高位の尊崇を得て今日に至る。迷わず方丈に上がる。小堀遠州作の枯山水と池をめぐり、藪椿等あしらう絶景を堪能する。お奨めの琵琶湖疎水に至る夕刻、京都独特の底冷えが迫る。疎水の構造はローマの水道を想わせレンガの古さが心憎い。和服姿の若い女性達が正月を知らせる。私は京都サスペンスものに目がない、その舞台に終に来た。
晩は息子のスマート検索でイタリア名の居酒屋へ、味噌垂れを洋皿にドロップ、生胡瓜が突きだしに。京町屋がよそ者に乗っ取られ、奇抜な変身に地元が嘆くとか。創作料理を避け、伏見の地酒で、仕入れが年越しの刺身でもためらわず注文した。