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「800字文学館」

Tバックを穿いた豚

三 春

 この正月にロシア人から動画が送られてきた。音楽に乗って歩く豚の後ろ姿だ。豚はセクシーなTバックショーツを穿いていて、左右に揺れる大きな白い尻と細い脚はモンローウォークさながら。画面には С Новым годом!(ス・ノーヴィム・ゴーダム)(明けましておめでとう)の文字が浮かぶ。

 このようにロシアを含む各国では豚年とされているのに、なぜ日本だけが猪年なのか。

 干支は古代中国の「十干」と「十二支」を組み合わせたものだ。
「十二支」は時間や月や方位を表わすための符号に十二種の動物を当てはめたもの、「十干」は順序を表わすために使われた甲・乙・丙・丁……の10文字からなる符号である。一方、万物は陰と陽の二つの要素に分けられるとする「陰陽説」と、木・火・土・金・水の5つの要素に分けられるとする五行説を組み合わせた「陰陽五行説」という思想があった。日本では陽を兄(エ)、陰を弟(ト)とし、これが「えと」という呼び名の由来となる。そして陰陽五行説を十干に当てはめるようになり、例えば「甲」を「木の兄」(キノエ)、「乙」を「木の弟」(キノト)と呼ぶようになったという。なんとまぁややこしい! 十二支だけが現代人に通用しているのも当然だろう。

 干支が日本に入ってきたのは553年、欽明天皇が朝鮮半島の百済から暦の専門家を呼んだのが始まりだという。
 タイやベトナムなどの東南アジア、モンゴル、インド、ロシアなどにも伝わり、あてはめる動物は中国とほぼ同じだが、ベトナムでは牛が水牛に、ロシアではウサギが猫に、アラビアでは龍がワニになる。

 ではなぜ日本では豚が猪になったのか?
 豚は猪を家畜化したものだが、日本では野生の猪が豊富だったので豚を飼う必要がなかった。やがて仏教が伝来して肉食は嫌われた。そこへ干支が伝わったので豚と猪が入れ代わった。という説が一般的だが、ちょっと納得がいかない。他の国では古くから豚が飼われ、宗教的にも抵抗がなかったというのか。いずれにしても自分が豚年でなくてよかった!

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