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「800字文学館」

岩倉温泉

大月 和彦

 一月中旬に辺境の旅が好きという友人と秋田県の岩倉温泉に行った。横手盆地の東北部、出羽丘陵の山あいにある一軒宿。
 秋田新幹線で昼過ぎに大曲に着き、コミュニテイバスで由利本荘の方向に向かう。過疎地域を走るバスは、田園地帯に散在する集落を丹念に回るが、乗降客は数えるほど。一時間で終点の岩倉温泉に着く。森に囲まれ、雪に埋もれたヒュッテ風の小さな建物。「日本秘湯を守る会」の大きな提灯。夫婦二人で経営している。「秘湯」に惹かれて全国各地から訪ねてくる客が多いという。
 無色透明の硫酸塩泉。すこし塩からい。湯から上がると肌がヌルヌルする。アトピー性皮膚炎、神経痛、腰痛などに効能があるといわれる。
 夕食は山菜尽くし。マタタビ、なめこ、フキ味噌,ヤマウドなど。アケビの皮を煮たのが珍しい。養殖ものの小ぶりのニジマスの塩焼きは淡白で骨が柔らかだった。

 温泉の歴史は古く、江戸初期の正保年間の記録があり、宿の主人Sさんは、湯守りを引継いで10代目という。ずっと近郊の村人の湯治宿だった。Sさんが曽祖母から聞いた話では、明治初期には遠方から皮膚病の人が療養に来ていたという。
 幾度かの地震や洪水で源泉の状態が変わったが、今は地下220mから噴出する源泉を使っているという。昭和40年頃、湯治宿をやめ、秘湯愛好家を相手に営業をしている。

 旅行家菅江真澄は、文政年間に地誌調査のためここを訪れ、地誌『月の出羽路仙北郡』を書き上げた。
 同書に「岩倉ノ湯、外小友邑の内湯本邑に在り、眼の病、孤臭(わきが)、無名ノ毒瘡(くさがさ)、(癬(たむし)、疥(ひぜん)、胡癬(こせ)、熱疝気の類いづれも功験多し。試み給うべし。味鹹(から)し、礬泉ならんか」とある。湯桁には、褌をつけない男、腰巻をまとわない老若の女、片鼻が赤く、腫れたり崩れ落ちた人たちが恥じらいもなくよくおしゃべりしている、と湯浴みの様子を記している。
 地誌に付された図絵には、渓流沿いに建てられた湯屋と入浴する人たちの様子が描かれていて、当時の賑わいを知ることができる。

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