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「800字文学館」

黒薩摩

大森 海太

 二月下旬のある日、天気が好いのに誘われて、我が家から池袋まで約一時間かけて歩いた。お目当ては某デパートで毎年この時期に開催される、伝統的工芸品展WAZA。今年も会場には全国から陶磁器、漆器、木工品、金細工、ガラス細工、染色等々、さまざまな展示がならび、なかには職人が秘伝の技を実演披露しているところもある。

 ひまそうな爺さん婆さんたちに交じってアチコチ見て回るうち、ふと足を止めたのは薩摩焼のコーナー。黒薩摩と称する皿小鉢や茶碗などのなかで、灰色の地に黒くて太い貫入(ひび割れ)が全体を覆っている湯呑があり、よく見ると見込み(器の内側)にもびっしり貫入がはいっていて、手に取ればずしりと重たい。ウーム、これで焼酎のお湯割りを飲んだら・・・想像を廻らせるうちに思いは募る。いったんはそこを離れたがまた引き返し、どうしようかと逡巡したが、こうなるともう止まらない。清水の舞台から飛び降りて買い求め、家に帰れば夜の来るのが待ち遠しい。

 結果は大当たりだった(私の直感は正しかった)。おそるおそる湯を注ぎ焼酎を入れると、洞穴みたいに薄暗く淀んだ湯呑の底から、なにやら熱い地下水が湧きあがってくるような気分で、分厚い縁に口を当ててこれを含めば身も心も陶然となる。とてもガラスのコップなんかの比ではない。いやあ、これは一生の友になるかも。

 調べてみると黒薩摩は十六世紀末、朝鮮半島出身の陶工の一派によってもたらされたものである。なかでもこの独特の貫入は「黒蛇蝎」といって、黒釉の上に白濁釉を重ねがけして登り窯で焼き、釉薬の収縮率の差によって強いひび割れを生じさせる特殊な技で、とくにこの湯呑のようにうちそとに隙間なくいきわたらせるのは、容易ではないとのことである。

 閑話休題 このまえの月例会で俳句の先生の話を伺っているうちに、柄にもなく季節外れの「もどき」が浮かんできた。

 木枯らしや湯呑かたむけ芋焼酎   蚤助

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