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「800字文学館」

早春の思い出

塚田 實

 ここ数日暖かい日が続き、2月の中頃から芽を出し始めた水仙が、急に伸び始め黄色い花をつけた。球根で眠っているときは、今年も咲くのかなと疑問に思いつつも、せっせと水を遣っていた。最初一輪だった花が毎日少しずつ増える。春の訪れだ。
 家の前の中学校の庭にはハクモクレンが花開きつつある。満開になると上品で芳しい香りを放つ。花の芽も少しずつふくらみ始め、何となくわくわくする桜の季節はもうすぐそこだ。

 ニューヨークにいたとき、寒い冬を越すと、先ず咲くのはクロッカスだった。郊外のコネチカット州グリニッチにあったわが家でもちらほら咲いていたが、家の近くの教会の庭は一面紫色や黄色、白色など色とりどりのクロッカスで覆われる。茎が短いので、地面に這いつくばって、懸命に生きているように見える。そしてクロッカスが咲き終わるころ、今度は一斉に水仙が花開く。花の黄色と白、葉の緑が鮮やかに映える。水仙の後はハナミズキだ。街路樹として植えられているところも多く、町は華やかさを増す。

 ロンドンではケンジントン公園近くのアパートに住んでいた。公園に隣り合うハイドパークは、やはりこの時期クロッカスで覆われていた。休みの日の早朝ハイドパークを散歩すると、愛らしいクロッカスが「おはよう」と挨拶してくれているようだ。足を踏み入れないよう気を付けて歩いた。

 イギリスでの水仙には思い出がある。4月帰任が決まった3月、夫婦で湖水地方にあるワーズワース(Wordsworth)の故郷ダヴ・コテージを訪れた。私は彼の詩『水仙(The Daffodils)』が好きだった。英語では韻を踏み心地よく響く。そして、彼が見たのと同じグラスミア湖のほとりに咲きそろう水仙を見た。大形のらっぱずいせんは風に揺られて、まさに詩にあるように踊っているようだった。

 春は人生の節目でもある。学校が始まり就職も4月、会社の人事異動は4月が多かった。今は静かに春そのものを楽しめるようになっている。

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