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「800字文学館」

青丹よし奈良のお寺は…薬師寺の伽藍

大月 和彦

 昨年秋、天武忌が行われていた奈良薬師寺を訪ねた。かねてから見たかった小倉遊亀画伯の天武天皇、持統天皇など3人の肖像画(三尊像)が、この日だけ公開される。三尊像は境内の北端にある食堂(じきどう)に安置されていた。僧侶が食事や儀礼を行う食堂は、千年前に焼失したままになっていたが二年前に復元再建された。屋根瓦や白壁が映える豪壮な建物だ。内部には田淵俊夫画伯が描いた阿弥陀三尊浄土図と「仏教伝来の道」という大壁画が飾られている。

 かつては大伽藍を擁した薬師寺は、戦火や災害で多く建物が失われ、明治初期には創建時からの建物が東塔だけだった。大正の初めに訪れた和辻哲郎は「小さな裏門をはいるとそこに講堂がある。埃まみれの扉が壊れかかっている。古びた池の向こうには金堂の背面が廃屋のような姿を見せている。周りの広場は雑草の繁るに任せてあって、いかにも荒廃した古寺らしい気分を味わわせる」と書いている。

 半世紀前に薬師寺を訪ねたことがある。南門から入ると、「凍れる音楽」と称賛され、白鳳美術の粋と謳われた東塔がひっそりとそびえていた。西塔跡に立つと西塔の基壇にできた水溜りに東塔の先端が映るのが見えた。古都と古寺の雰囲気に浸ったことを覚えている。

 薬師寺管長に就任した高田好胤師は、写経勧進により、広く市民・信者から浄財を集め、白鳳伽藍の再建を進めた。昭和50年代から金堂、西塔、大講堂、中門、回廊、そして食堂まで続いた。
 東塔の解体修理が平成21年から始まっている。塔全体が工事用の上屋で覆われている。
 屋根瓦が外され、木材部分がばらされ、木材はできるだけ再使用するという。心柱も継ぎ足されたという。

 2年後の春、解体修理工事が終わると、東塔は装いを一新し、きらびやかな姿を現すだろう。西塔、大講堂、金堂など鮮やかな朱色が映える伽藍群は、「あをによし奈良の京は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と詠われたように街全体が繁栄する風景を見せるのだろうか。

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