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「800字文学館」

梅園で写真を撮る

志村 良知

 2月末の薄日の漏れる午後、近所の梅園に行った。三分咲きから満開まで、天気とともにこれ以上望むべくもない。混雑というほどではないが大勢の人が出ている。
 桜の花見は皆一斉に見上げ、花の下でお弁当を広げるが、梅の花見は人それぞれである。眺める方向もバラバラ、花を覗き込んでいる人も多いが、その覗く花も嗅ぐ花も様々である。
 一眼レフが壊れる前には、構図の他に焦点深度や微妙な露出や色調にも気を使って撮っていたが、今のカメラは最安値のデジカメだ。それでもズーム、露出の調節、感度、色調の調節はできるので、それなりの写真は撮れるかもしれない。結果は後のお楽しみと色々試みながら歩いていると、三分咲きの淡い紅梅に向けて三脚を据え、一眼レフに300ミリくらいの長いレンズを付けたカメラで狙っている70代の男性がいた。
 そのカメラはニコンF3らしい。思わず「フィルムで撮ってるのですか」と声をかけた。男性は私の胸元に下げた安デジカメをじろり一瞥して黙ったままかすかに頷いた。拒絶の空気を感じてしばらく黙って見ていたが、その間一度もシャッターを切らない。静かにその場を離れた。F3はフルマニュアルだ、明るい梅の花の露出は難しいだろう。太陽の具合に合わせて一発勝負中なのだ。

 池のほとりの撮影ポイントは順番待ち状態だ。条件を変えながら数枚撮る間でも周囲の高級一眼レフ組からの「安カメラで何やってんだ」という無言の圧力を感ずる。
 歩道を時計回りに進んで、さっきの男性を見下ろす場所に来るとまだ同じ木の前でカメラを構えている。いくらプロないしプロ級でも絶妙な開花具合の木を1時間近くも独占するのはどうかと思う。
 それにしてもこの梅園の梅は整っている。各色の木の配置、枝ぶりの重なり具合を斜面に合わせて完璧である。畑の隅や空き家の庭などで噴水のように奔放な枝ぶりの梅を見掛けるが、ああいうのがあっても良いよな、と歩きつつ思った。

整ひし梅園にゐて野趣恋し  良知

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