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「800字文学館」

ご当地ソング

三 春

 高齢者にとってご当地ソングは今もカラオケの定番。ウィキペディアによれば「ご当地ソング」という言葉は、半世紀以上前に美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』をヒットさせるために、クラウンレコードが使い始めて広まったものだという。クラウンはマスコミ取材陣を柳ヶ瀬に招待して手厚くもてなし、行く先々でこの曲を流すなど、ゴリ押し作戦で空前の大ヒットを生み出した。
 翌年には東映が同名の映画を梅宮辰夫主演で製作した。共演は野川由美子、大原麗子、伴淳三郎など。若い頃の梅宮はチンピラやプレイボーイの役が多い。この映画もバーテンダーの梅宮が女と金を巡って新宿や故郷の柳ケ瀬をさわがせた挙句、うらぶれて故郷を後にするというお定まりの筋書きだ。当時隆盛のヤクザ映画+歌謡映画、そして新幹線誕生から僅か三年目の岐阜を宣伝する観光映画でもある。
 実はこの映画にエキストラ出演した。大学一年の夏休み、友人に誘われたアルバイトだ。東映撮影所のスタジオにはディスコバーのセットが用意されていた。バーの客としてゴーゴーを踊ったり、止り木で飲んだりが私たちの役割である。芸能情報にうとい私にグラスを差し出したバーテンダーを見て、「今のが梅宮辰夫だよ」と友人が囁く。スタジオには人いきれと紫煙と騒音が渦巻き、「そこのゴーゴー、もっと尻を振って‼」と監督が怒声をあげる。こうした大量のぶつ切りシーンを編集して、アフレコでセリフを入れるのだろう。夜遅くまで拘束されて幾らもらったかも覚えていないし、封切られた映画を観てもいないが、青いストライプのミニワンピースで踊る私の姿は一瞬でも映っていたのだろうか。そういえばミニの女王・ツイッギーの来日はその秋のことだった。
 ヒットから数十年後、過去の栄光(?)に縋るつもりか、岐阜市長の筆による柳ヶ瀬ブルースの歌碑が商店街を飾ったものの、今や柳ヶ瀬の衰退はとどまることを知らず、シャッター街を寒風が吹き抜けている。

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