作品の閲覧

「800字文学館」

日本橋福徳神社

川口 ひろ子

 毎年お正月は近くの代々木八幡へお参りするが今年は日本橋福徳神社に変更した。昨今の私の足の不調の為長い石段の上り下りが辛くなった為だ。

 福徳神社は地下鉄三越前駅の隣、商業ビルコレド室町の裏手に鎮座する。創建は古く平安時代、徳川時代には家康も度々参拝したという由緒ある神社だ。そして現代、急激な経済成長に伴い一帯はオフィスビル街に変わって行った。神社の敷地は徐々に縮小されてお社はビルの屋上に移された後、一時は居酒屋に居候をしたこともあったという。そして五年程前の地域の再開発に伴い、現在の場所に戻って来てくれた。
 参道に見立てた小路をそぞろ歩く。両サイドに並ぶ商店の大きな暖簾の渋い色合いや派手な花模様の提灯などは,現代の若者が描く江戸情緒なのだろう。何か劇画の世界に迷い込んだ気分になる。
 前方右手に鳥居が現れた。聳え立つ高層ビル群に囲まれた谷間のような場所で「負けてはいないぞ」とばかりの堂々たる構え、鮮やかな朱色がその存在を主張している。
 鳥居を潜って手水屋で口と手を清め拝殿へ。コンパクトであるがすべてが新しく清潔感に溢れているお社だ。鈴を鳴らしてお賽銭の後二礼二拍手一礼、関節痛解消と今年の幸運を願った。

 数年前までこの辺りには古色蒼然とした貫禄あるオフィスビルが建ち並んでいた。勤務していたアパレルメーカーがこの地にあった原糸メーカーと共同で冬季オリンピック仕事を受注したことがある。駆け出しの頃で使い走りの様な役割であったが打ち合わせの為度々このビルに足を運んだ。「早く来て」と毎回窓から身を乗り出して迎えてくれた同年配のN子さんは昨年他界したと聞く。
 思い出深いオフィスビル群は跡形もなく消え、可愛らしい神社が現れた。しかし、バリアフリー化の進んだ都会の真ん中に戻ってきてくれた段差の少ない福徳神社は、今の私にとって真に有難い存在だ。

 有為転変は世の習いとは言え、街は目まぐるしく変貌し、私の老いは進む。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧