春宵酔談
(イッパイ飲りながら)
いやあ春たけなわ、好い季節になりましたなあ。梅が咲き始める早春のころから桜満開、爛漫の今日まで、春が再びめぐってくる喜びは西洋でいえばイースターですか。どこに花見に行くということもありませんが、自宅から駅までの道すがら、家々の塀越しに紅い花、白い花、黄色い花が次々に咲いていくのを見るのは気分のいいもんですなあ。
「願はくは花のもとにて春死なむ・・・」そんな気持ちになりますワ。
(ここでもうイッパイ)
話はかわりますが二十一世紀はIT化の時代で、人間にとって文字の発明に次ぐ第二の大飛躍とやら。ところが日本はこの分野では世界の水準から三周遅れくらいで、何とかしなければという声がアチコチで聞かれますなあ。
物の本によると今から七千年前、サハラ砂漠からゴビ砂漠にかけて地球の大乾燥化が始まったため、人間はやむなくナイル川、メソポタミア、インダス川、黄河などのほとりに集まって農耕牧畜を始め、これを管理し記録するのため五千年前に文字が生まれ、都市が生まれ、文明が生まれたのだそうです。
そこへいくと我が国は縄文土器の昔から水と海山の幸に恵まれていて、川や海で魚を獲り、山で木の実を採って十分生きていけたので、あえて文字を作る必要がなかった。ところが千五百年前のころ大陸から漢字が伝わってくると、たちまちのうちに取り込んでしまって、二、三百年もしないうちにカタカナや平仮名を考案し、これをもとにして古今和歌集やら源氏物語やら文学の華が開いていったのですから、分からんもんですなあ。
ITだって多民族、多言語の人たちが必要に迫られて開発しているものだから、これもあとから日本流に飲み込んでいけばいいんじゃない。
(さらにもうイッパイ)
マ、むつかしい話はこれくらいにして、春と言えば酒、「酒なくて何の己が桜かな」というくらいですから、調子に乗って一句。
提灯のあかりがにじむ春の宵
春の宵なごりは尽きずあと二合 蚤助