田園に帰る
(田舎に着いた時の愉快な気分)
これはベートーベンの交響曲第六番「田園」の第一楽章につけられたタイトルである。
久々に読んだ『阿弥陀堂だより』(南木佳士著)の中に、この曲を聴く場面が描かれている。都会の過酷な環境のなかで心を病んだ妻とその妻を伴って生まれ故郷に戻ってきた男の物語だ。自然豊かな田園と素朴な人たちに囲まれて生活するうちに、二人が癒され本来の自分を取り戻すという筋書きである。そのテーマを象徴するものとして「田園」が使われているのだと思った。
そんなことを考えている時に、目に留まったのが『帰田賦』(きでんのふ)という詩の名前だ。四月一日に発表された新元号「令和」について色々と調べているなかでのことである。
これまで漢籍を出典としてきた日本の元号を、今回は初めて日本の古典に基づくものにしたことを強調しながら安倍首相がテレビで語っていた。万葉集の序文に出てくる、「于時初春令月 気淑風和」に拠るものだというのである。
しかし、この言葉も中国、後漢の人、張衡(ちょうこう)が著した『帰田賦』が原典であると一部の識者が指摘している。そこには、
「於是仲春令月 時和気清」とある。
時は正に仲春の令月、時は和やかにして空気は清らか、とでも読み下せるだろうか。
張衡が政争に明け暮れる中央の政治にうんざりして、田舎へ帰りゆったりとした人生を過ごしたいという気持ちを詠ったものである。
万葉の時代、日本の知識人は漢籍に詳しく、『文選』にも収録されているこの詩が、万葉集の序文を書くときに頭の片隅にあったとしてもおかしくはない。
漢字で表わす限り、かの国の思想や文化から全く無関係であろうとすることには無理があり、そんなことを気にする必要もない。
出典が何であろうと新元号を素直に受け入れたい。その上で年老いた身としては、これからの「令和」の時代が、穏やかな気持ちで日々を過ごせる世であって欲しいと願う。それは身勝手なことだろうか。