電信柱と電線と
街を散策していて、いつも気にかかるのは電信柱と電線である。送電線だけでなく電話線があり、更に光ケーブルの回線がそれに加わって、混沌とした様相を呈している。
いつまでたっても、この様な状態のままなのは何故だろうと思っているとき、明治時代に書かれた小説に次の様な文章を見つけた。
「往来の上に縦横の網目を張って居る電線が、云ふばかりなく不快に、透明な冬の空の眺望を妨げている。……生々しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬ程、遠慮会釈もなく突立ってゐる」
文明開化で電気が取り入れられたのは良いが、街の美観が著しく損なわれていることを嘆いているのだ。永井荷風の小説『深川の唄』の一節である。
洋行帰りの荷風の目には、見慣れたパリやロンドンの街並みに比べ、「何と酷いものか」と映ったのだろう。
他国と比べて、日本は電線の地中化が遅れているように思える。そこで、世界の各都市の地中化率を比べて見た。
パリ・ロンドンは100%、シンガポールは93%と進んでいるのは予想通りである。
台北95%、ソウル46%、ジャカルタ35%に対して、日本の大都市はどのくらい地中化が進んでいるのだろうか。何と、東京の23区が8%で大阪市は6%だというではないか。
経済的には、豊かであるにも関わらず、どうして日本は遅れているのか。戦後、とりあえず早急に復興する必要に迫られ、一時的にと電柱が立てられたが、そのあと息つく暇もなく高度経済成長期に入り、気が付いたらこうなっていたと解説する人もいる。
しかし、それだけだろうか。自然災害が多い日本の特殊事情も関係しているのかも知れない。災害に遭ったとき電柱に架けられた電線の方が復旧しやすいからとも考えられる。
ところで、この電柱と電線、確かに景観を損ねている場合が多い。しかし、下町の風情を描くのに、あえて画面に取り込むこともある。何を美しいと感じ、醜いと捉えるのか、周りの状況と個人によって微妙に違ってくる。