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「800字文学館」

江戸の化政文化を引き継いだ永井荷風(「何でも読もう会」余滴)

斉藤 征雄

 「何でも読もう会」で永井荷風の『歓楽』を読んだ。
 『歓楽』は「根岸に囲われている、人の妾」との恋、官能的恍惚、そしてその後の倦怠、絶望、嫌悪を、世情、風景描写とともに描いた耽美小説である。主人公は、恋の果に「得ようとして得た後の女ほど情無いものはない」と思って別れ、その後消息も知らず会うこともないと考える。
 荷風は、実生活においても荒廃した人生を送る。妻と離婚、芸妓と再婚離婚を繰り返し、数多の女性を遍歴する。文化勲章を受けたものの、最期は孤独の中自宅で遺体となって見つかる。

 私にとって荷風の小説は初めてで『歓楽』の他に『牡丹の客』『深川の唄』の短編も合わせて読んだが、小説としてはそれほどの感興を催すものではないというのが率直な感想だった。
 むしろその価値は、情景描写の文章にあると思った。江戸の文化を引き継ぎそれを色濃く残す明治の下町、花柳に身を置く女たちが多く登場する。それらの風景と人物が、乱れのないしっかりとした文章で描かれるさまは、浮世絵を見るような気持ちにさせる。

 荷風は、小説の他に『江戸芸術論』という評論を書いている。その中で江戸文化、特に化政文化の歌舞伎、浮世絵、そして花柳の世界を賛美している。
 荷風の生きた時代は江戸文化の名残が残っていた時代で、荷風はそれを小説の題材に選ぶとともに、しかも自分の生活をその中に埋没させた。いわば江戸の化政文化を一身に引き継ぎその中に生きた。そういう意味で荷風の小説は私小説ともいえる。

 明治以降日本は近代化したが、それは西洋化でもあったので伝統的日本文化がどんどん失われていった。荷風は怒涛のような西洋化の荒波の中にあってそれを批判し身をもって抗い、江戸の化政文化に見られる美に耽溺した人だったのだろう。
 漱石、鷗外らのスマートさに較べて荷風の生き方の泥臭さは、底辺社会で生きる民衆のそれに近いものがある。その生き方は、人間らしい生きざまだったと言えるのではないだろうか。

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