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「800字文学館」

糸島半島にて

首藤 静夫

 糸島半島は福岡県の西北部、玄界灘に突き出た地である。風光明媚、マリンレジャー、季節の食材などで近年人気のスポットだ。同時にここはわが国の文明のはしりでもある。古代史ファンとして一度は訪れたい――。

 JR築肥線の波多江駅を降り、タクシーで伊都国歴史博物館に向かう。伊都とは3世紀の『魏志倭人伝』で紹介されているこの地の古名だ。車が進むにつれ田畑が広がり、菜の花、レンゲが目に鮮やかだ。海は見えないが遠くに山並みがかすみ、晩春の陽気に気持ちがよい。
 博物館は65歳以上が無料とか、ますます気分がよい。ボランティアガイドのSさんの案内で館内を回る。この半島一帯は、対馬、壱岐と並び弥生時代の初めから文明が興ったところである。出土した遺物の説明を受け、中国や朝鮮との交流の模様を聞く。展示物の目玉は近くの平原(ひらばる)遺跡から出土した、世界最大、46.5センチの青銅鏡だ。実に5面出た。写真では見慣れているが、実物に対面し、その迫力に圧倒される。鏡の他、勾玉、銅剣など「三種の神器」も出土し、陳列されている。出土品の内容から、この平原遺跡は女性の墓と考えられ、「卑弥呼九州説」の大きな根拠となっている。

 博物館の階上から遠く日向(ひむか)峠が望まれる。天孫降臨伝説の「日向」はここと比定する有力学者もいる。左右の山の稜線の間からこの峠越しに朝日が昇り、平原の埋葬者の股間に当たるように工夫されていたと――。
「やはり卑弥呼はこのあたりでしょうね」
 親切な案内者にヨイショして卑弥呼九州説を持ち上げた。返ってきた答えは意外にクールだった。
「いいえ、卑弥呼は奈良の纏向遺跡です。この地から卑弥呼以前に一族が東進していきました」
 九州説の1丁目1番地から邪馬台国東遷説が飛び出した。
 結局卑弥呼は見つからないだろう。それでもいいと思う。日本人が自分たちの故里や来し方を見つめ直すことにつながれば、どこかで卑弥呼は喜んでいるだろう。

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