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「800字文学館」

令和が始まった

児玉 寛嗣

 ここ数年、養護老人ホームに入居している妻の母を、妻、子供・孫達と正月に訪れ、年始の挨拶をすることが恒例となっていた。義母は足こそ不自由であったが頭はしっかりしており、孫達が一人、ひとり、「明けましておめでとうございます」と言うと、嬉しそうにうなずき、それぞれの手を握り返していた。
 今年の正月もいつものように、皆で訪れた。私の娘が、「おばあちゃん、5月に年号が変わるのよ。おばあちゃんは4つの時代を 生きたことになるの。これ凄いことよね」と話しかけると、嬉しそうに笑って応えていた。妻の母は大正生まれ、5月には大正、昭和、平成、そしてその次と4つの時代を生きたことになるはずだった。
 二月のある日、妻から母が亡くなったとのメールが入った。享年九七、4つの時代を生きることは出来なかったが眠るような死(老衰)だったそうだ。
 大正天皇の崩御は1926年12月25日だったから、九二才と四ヶ月余以上の人なら4つの時代を生きたことになる。平均寿命が延びたなか人数も多いことだろう。

 大正デモクラシーから一転して、昭和は恐慌、不作、テロ・軍国主義の横行などで不穏な幕開けだった。さらに戦争、敗戦と苦難の道を辿ったが、その後は復興、経済成長と活気があった。末期には息切れした感もあったが、今、思えば希望のあった時代だったと言える。
  だが、平成に入るとバブル崩壊で停滞の時代となり、幾多の大災害もあった。「失われた30年」という言葉さえ囁かれるようになった。

 新しい時代は生前退位というこれまでにない形で、祝賀ムードに包まれた大型連休のなかからの滑り出しとなった。しかし、増大の一途を辿る国の巨額な借金(平成元年の254兆円が令和元年には1107兆円)、少子高齢化の加速、格差の拡大などで、平成に比べ厳しい状況から「令和」はスタートした。失速の時代から浮上に向かうのか、はたまた、降下するのか、この時代の終焉まで生きてそれを見届けることはまず出来ないだろうが気になることである。

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