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「800字文学館」

アルチューる・らんぼう

三 春

 イーゴリさんは幼児の頃に満州から引き揚げてきた日露のハーフで、「アイノコ」と囃されて苛められながら育った。成人して、そんな周囲を見返そうという思いもあったのだろうか、日ソ貿易で一歩後ろを歩いていた大手商社に入社し、ソ連貿易公団との交渉に腕を振るって貿易高の飛躍的アップに貢献した。
 ロシアのパーティーは、乾杯の音頭取りが入れ替わる度にウォッカ一気飲みが礼儀、というヘベレケまっしぐら方式。並みの日本人なら飲んだ振りをして植木鉢にこっそり捨てるのに、正直者で頑張り屋のイーゴリさんはがっぷり四つで立ち向かう。流暢なロシア語と見事な飲みっぷりにロシア人たちはたちまち胸襟を開いて、竹馬の友さながら。大型案件を次々と成約し、日ソ貿易のヒーローと謳われるが、すっかりアル中になってしまい、遂に退職せざるを得なくなった。フリーの翻訳・通訳者に転向してからも、酒を飲みだすと1週間は止まらない。仕事もめっきり減り、妻のナージャさんがロシア語の教師をして家計を助けていた。

 そんな裏事情を知らなかった頃、品川駅前のホテルパシフィックのバーに誘われた。どうやら常連らしく、頻繁に席をはずしては支配人とひそひそ話。後でわかったことだが、支配人はこの厄介なアルチューを追い払おうと必死だったらしい。帰りに私を送ってくれたのはいいが、我家近くのスナックではしご酒となった。普段は温厚で優しい人なのに、些細なことで隣の客と喧嘩を始め、「表に出ろ! 俺の兄貴はサンボのチャンピオンだ、俺も強いぞ、覚悟はいいな!」と、往来で飛び蹴りやら回し蹴りやらの大乱闘。ようやく宥めて帰らせたものの、初めてのご近所店で私まで顔を覚えられてしまった。まずいことに、奥でチビチビやっていたのは知り合いのオジサンオバサンだ。未だにその店の前を通らないようにしている。

 十数年後、一人息子のためにとアルチューから抜け出したのも束の間、不治の病が彼を待っていた。

(註)サンボはソビエト連邦で開発された格闘技で、軍隊格闘術や護身術として広まっている

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