秩父巡礼みち
休日は早起きして秩父の札所巡礼に通っている。江戸の昔から歩かれている巡礼古道のマップを片手に、数か所ずつ観音霊場を巡拝して行く。元禄期の巡礼者が据えたという道しるべ石を辿って歩くのも楽しい。
山に囲まれた盆地の風土の魅力は言うまでもないが、先々で印象に残る出会いがあり、昼時には思いがけない地元の味を見つける。時にはハイキングがてらで回るうちに、34札所巡礼満願にはあと4か所を残すだけとなった。
発願は昨年12月「秩父夜祭」にちなんだ街歩きに参加した時だ。立ち寄った観音堂のこぢんまりと親しみ深い佇まいに、懐かしさと安らぎを覚えた。色褪せた軒の彫刻、木目の浮いた縁板、線香の煙、緋赤をまとって並ぶ地蔵などが渾然となって目の奥に映り込み、時間が止まったような思いがした。昔と今が繋がり、この世にいない人たちがその場にいるように感じた。こういう所を巡って歩くのは亡き人たちの供養になるかもしれないと、その場で「納経帖」を求めて、初めての御朱印をもらったのだ。
てくてくと歩いて山門をくぐり、赤い幟旗に導かれて観音堂にお参りをする。昔覚えた般若心経を唱えてから、納経所の小窓に納経帖を差し出す。お坊様や寺番さんが墨黒々と山号に寺名・日付を書いて朱印を押して返してくれる。
始めのうちは、駅から徒歩で回れる札所を組み合わせていた。街中だけでなく、農道や草深い道、時には「熊に注意」の山道もある。道端に道しるべ石や馬頭尊、庚申塔、地蔵様を見つけると心細さも吹き飛んだ。周囲の山々の方角も頭に入り土地勘もできて、移ろう季節を足元から味わった。
残りの4か所は少し手ごわい。日に数本しかないバスを使っても3時間以上の道のりだ。以前に登山で訪れた際に立ち寄っている寺もあり、御朱印をもらうなど考えもしなかったことが悔やまれる。
この数年で身近な人を次々に亡くした。にわか巡礼の祈りはあの世に通じるだろうか。秩父巡礼みち歩きはまだ続く。