欧州連合(EU)の父と祖母
牛込地区には加賀町、二十騎町、山伏町、矢来町などと由緒ある町名が残っており、町の区割りも江戸時代のままである。一帯は武家屋敷街であったが、明治以降は高級官僚の官舎街に、今は瀟洒なマンションが並ぶ閑静な邸宅街となっている。近くに住む私にとっては格好の散歩コースである。
その一角に納戸町公園があり、入口に「クーテンホーフ光子居住の地」と題した案内板が立っている。「この地にオーストリア・ハンガリー帝国の駐日大使、クーテンホーフ伯爵と結婚した骨董屋の娘、光子(旧姓青山みつ)が明治二十九年に渡欧するまで住んでいた。光子の次男リヒャルト(栄次郎)は作家、政治家となり、現在のEUの元となる汎欧州主義を提唱し、『EUの父』と呼ばれている」との簡単な説明文と彼女の写真が添えられている。
光子については以前に彼女を主人公とした吉永小百合主演のテレビドラマで初めて知った記憶がある。リヒャルトについても光子から立派な家庭教育を受け、第一次世界大戦の悲惨な経験から平和主義者となったこと、ナチズムのような排他的全体主義と中央集権に対抗し、緩やかな国家連合体を構想し、各国の有識者から広い支持を得ていたこと等をその際に知った。
昨夜テレビのニュースで見た英国EU離脱や各国の反EU運動が頭に残り、朝の散歩中に納戸町公園の前で光子とリヒャルトに改めて想いを馳せ始める。
才媛の光子は商家出ながら近所の旧武士階級と接し、武士道という高尚な精神性や幕藩間で適切な距離感を保つ幕藩分権体制が、徳川二百五十年の平和の基礎であったことを感じ取っていたであろう。そのような彼女の母国体験をリヒャルトは聞いて育ち、幕藩体制を敷衍した形の欧州連合体制や、武士や英国紳士のような精神的貴族が主導する政治運営を想起したのではなかろうか。
欧州連合(EU)は成立後数十年で存亡の危機を迎えている。徳川幕府に比べるとやはり付焼刃だったのか。『EUの祖母』、光子の顔写真も不安そうに見える。