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「800字文学館」

ある珈琲屋のルール

大越 浩平

 自宅近くの自家焙煎「珈琲屋うず」に通い始めて半年、店の様子が分かってきた。客は好みの豆や味を店主に伝えると、数種の缶から自家焙煎した豆を取り出し、天秤で計量しミルに入れ、粉にしてネルフィルタに入れる。客に出すカップを温め、温度調整したお湯をドリップポットに入れ、お湯を垂らし始めるが、そこからが面白い。ポットの高さを定め、ネルフィルタを上下させながら湯滴の調整を行い、円形に垂らしたりしながら全体に豆を蒸して珈琲を抽出するのだ。豆の蒸れ具合を見ながら湯滴の落下圧力で抽出を加減しているのだろう。気象や豆の焙煎具合など条件はいつも変わる。ポットから入れるお湯はタラタラポトポトだが出てくる珈琲はスムースだ。味を保つのは店主の職人技だ、客は作業を熟視する。

 味見して客に出す。そこからが異様だった。常連客は珈琲が出されると直ぐに勘定する。西部劇でバーに入ったカウボーイがウイスキーを貰うとすぐに勘定する飲み逃げ防止のシーンだ。

 客の注文をうけると、店主の両手は五分前後使用中、客が三人もいれば一五分以上手が離せない、先客が帰ろうとしても勘定が出来ない、客も帰るに帰れない。電話も無い、ベルが鳴っても受けることが出来ない。店員が店主一人の自家焙煎珈琲屋のルールなのだろう。

 珈琲初心者の私は、いつも普通のやつをと頼んでいた。味になじんできたころ、アルコール入りの珈琲を頼んだらウイスキー入りが出された。これは想定内の味だった。後日行くと今度はラム酒入りを出してくれたが、とんでもなくうまかった、これは癖になる。一杯ではとても満足できない、程々にしようと心に決めた。

 三十半ばの店主は自分の信じる珈琲を求め人生かけている、それに応える客達がいる。平和な時代だからこそだ。

 ふと私の生まれた一九三九年、京都大学の学生俳人が「戦争が廊下の奥で立っていた」と詠み弾圧された「京大俳句事件」を思い出した。

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