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「800字文学館」

蕗という植物の思い出

志村 良知

 蕗にはいろいろな思い出がある。生家の蕗は防風林代わりの孟宗藪が切れるあたりに無駄に広い面積を占めていて季節にはよく食卓に上がった。不思議に蕗の薹はあまり珍重されず、梅干しと共に細かく刻んで炊いた佃煮くらいで、主には茎を食べた。爺様は「うちの蕗は特別やっこい」と10本くらいを藁で束にして近所に配っていたが、土地柄蕗くらいはどこの家にも自然に生えているものであるので、喜ばれたどうかはわからない。
 炊事担当の婆様の蕗料理は油揚げと筍との炊き合わせと、伽羅蕗と決まっていた。その伽羅蕗は時が経つと塩が噴き出すくらい強烈で、弁当に5切れくらい入っていればそれと汁がしみ込んだご飯をおかずに弁当半分は食い切れた。

 ヨーロッパに住んで、いろいろな場所で食べられそうな野草を探した。蕗の薹を発見したのは、スイスの保養地アローザでのことだった。発見は嬉しかったがアローザはいかにも遠い。そう思っていたらある年の夏、住まいの近くのボージュ山脈ロレーヌ側に蕗が大群生している斜面を見つけた。写真を撮って現地人にこれを食べるかと聞いてみると、いやにきっぱりと「その草は食べちゃ駄目」と言われた。
 諦めきれず、翌年早春にその場所に行ってみると、蕗の薹が斜面一杯に生えている。これを食わなきゃ日本人ではないと蕗の薹食いの特攻隊気分で大量に収穫した。まず少量茹でて味噌和えで試す、日本の春が鼻に抜ける。翌朝、どこも痛くも痒くもないので、晩には天ぷらにして大量に食す。旨い。日本人同僚にもおすそ分けで配った。以前に探し当てていた蕨とともに春のおすそ分けの恒例になった。
 父母が遊びに来た時、母がこの群生を見て、伽羅蕗を作ってあげると言い出した。どうせなら、と一抱え収穫して大量に作ってもらい、これもおすそ分けした。
 蕗の薹と梅干しの佃煮は削り節を大量に入れ、婆様のより薄味でさっと炊くと早春の絶品で、これは今でも我が家の季節の定番になっている。

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