私利私欲の暴走(その二)
私利私欲の追及は個々人の行動であるが、集積した結果はマクロ的な問題を生ずる。皆が等しく金持ちになれればいいが、金持ちは一層金持ちになり、貧乏人はなかなか貧困から抜け出せないという現実がある。とくに最近、世界的に貧富の格差の拡大が指摘されている。なぜこうした現象が起きているのか、背景として二つの点を指摘したい。
一つは冷戦の終結である。冷戦時代は共産主義国との体制間競争のため、資本主義国も公平、経済的平等ということに神経を使わざるをえなかった。「揺りかごから墓場まで」あるいは「成長から福祉へ」と福祉国家が目標とされたのはその表れであろう。しかし、共産主義という競争相手の消滅とともに緊張感、自制心が失われてしまった。
また、資本に対峙する役割を担っていた労働組合もかつての力を喪失し、資本の論理が今まで以上に大手を振るようになった。
もう一つは経済のグローバル化である。以前は同じ資本主義、市場経済にもアメリカ型のほか日本型、ドイツ型もあると言われた。そこでは雇用形態や労使関係、株主との関係、経営戦略の立て方等に違いがあった。これがグローバルな市場で競争が激化すると資本の論理を貫徹するアメリカ型が最も効率的であり、世界中がこれに追随せざるを得なくなった。
さらにIT経済の進展は少数者の総取り傾向に拍車をかけている。
他方、貧富の格差是正のため各国で税制面の所得税の累進構造、相続税、法人税等が一定の役割を果たしてきたが、これもグローバル化により制約されることになった。企業も人も国境を越えて移動できることになると自国のみが高い税率を維持することはできない。さらには企業誘致のため引き下げ競争まで起きている。
最近、世界的にポピュリズムの盛り上りが見られるが、これは貧富の格差の拡大に対する行き場のない怒りの表れであろう。政治が迎合的に対応するのではなく、根本にある資本主義、市場経済の行き過ぎにどう対処すべきか真剣に検討しないと大変なことになりそうだ。