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「800字文学館」

三都物語

中村 晃也

 十一月末の曇天の土曜日にベルリンに着いた。ホテルのコンシェルジュに翌日曜日のオペラ席の予約を頼んだ。幸いベルリンフィルの魔笛のキャンセル席がとれたが、劇場の真ん中の良い席なので少々お高いという。本場のドイツオペラが聴けるなんてこんな幸運はない。

 国立オペラハウスでの座席はL列の38番。正装した紳士淑女が一斉に立ち上がり我々を通してくれる。
 恐縮しながら辿り着いた席には、なんと既に座っている人がいる。どうも一列まちがえたらしいがもうもとには戻れない。ままよと短い脚を振り上げて背もたれを跨ぎ前の席に着地した。隣席のドレスの裾を踏んだようだったが、彼女が文句を言う前に照明が落ち、前奏が始まったので何喰わぬ顔で舞台をみたが、淋漓たる汗をぬぐう余裕もなかった。

 ロンドンでは幸いコベントガーデンでのロンドンフィルの第九のチケットが取れた。三階席の端の方だったが、前回に懲りて早めに席に着き、百二十名からの大合唱を堪能した。
 劇場周辺のレストランにはビフォアコンサートのメニューがあり小腹を満たす程度の簡単な食事を提供している。一方アフターコンサートのメニューは時間がかかるが、ワインによく合うしっかりとしたモノがでる。
 ところが、一皿ごとに出てくるまでの時間がかかり、最後のコーヒーを飲み干す頃は十二時を過ぎてしまった。

 帰国前夜はサンフランシスコ。週の半ばなので音楽会はなく、ホテルのロビーでジャズを聴くこともできたが、ダウンタウンでストリップを見ることにした。
 古いビルの裏側の薄汚れた小屋で、客はポツポツ程度。缶ビールを片手にヤジる黒人や、ピーナッツを齧りながらボソボソ話をしている裏ぶれた男女のペアー、グーグー寝入っているフトッチョの白人などなど。
 公演中突然靴の上を何かが通り過ぎる気配を感じた。子猫ほどの大きさの鼠がこぼれた菓子類を漁っている。

 帰宅して家内にベルリンオペラとロンドンの第九の話はしたが、最後の鼠の話はしなかった。

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