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「800字文学館」

キリストの里

首藤 静夫

 十和田湖を見ての帰り、道の端に奇妙な案内板が現れた。
 「キリストの墓へ二百十米」
 場所は青森県・新郷村。興味にかられて友人たちと車を止め、案内図に従って坂道を登った。丘の頂上に大きな土饅頭が二つ、それぞれに十字架が立ち、キリストと弟イスキリの墓とある。キリストに弟がいた?と話しながら教会風の建物に入る。「キリストの里 伝承館」の看板。そこの説明書によると――。
 キリストは21歳から12年間の所在が不明だがこの期間は日本で修行した。その後母国で布教活動、弾圧され磔刑にあったとされるが、処刑されたのは弟のイスキリだった。キリストは逃げ延びて再び日本へ。この土地の娘と結婚、3女をもうけ日本で死んだ。娘のひとりが土地の沢口家に嫁ぎ、代々キリストの墓を守ってきた――。

 昭和の初めまでは村にこの伝承はなかったそうだ。話が急展開したのが昭和10年。武内宿禰の子孫を名乗る神職が自家に伝わる「竹内文書」を解読、キリストにまつわるこの話を新郷村に伝え、墓探しが始まった。そして丘の上の古い土饅頭を見つけたという次第だ。
 毎年6月には墓の回りでキリスト祭が行われる。祭は神職の祝詞に始まり、盆踊りで賑わうそうだ。ただ、踊りは「ナニャドヤラ」なる意味不明の言葉が繰り返されると。

 前記沢口家の数代前の当主は「眼が青く、目鼻立ちが日本人離れ」とある。また、同家の紋章はダビデの星形に似ている、当地では父をアヤ、母をアパと呼び、子供の初外出には額に十字を切るなどの伝承や風習が残されているとも。
 異人漂流譚の一つだろうか。青い眼はともかく、北国では大鵬のような北方系の顔立ちの人もたまに見受けられる。はるかな昔、海を越えて渡来した人々を土地の人は受け入れ、文化を融合させてきた――。ほのかな気持にさせる山里ではある。
 同行のO君は旅行中、由緒ある神社で御朱印をもらい、寺院では鐘を撞いていたが、今またキリストの「墓前」で手を合わせている。

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