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「800字文学館」

貨幣は集団幻想の賜だった

池田 隆

 昨年の夏、一年間の米国留学を終えた大学生の孫が帰国報告に訪れて来た。ブロックチェーンについて学んできたという。仮想通貨と関係がありそうだが、初めて聞く言葉に私はチンプンカンプンである。つい先年までは一緒に公園を走り回り、学習を見てやった子だったのにと感慨深い。だが彼の話し相手から直ぐに外されそうだ。
 今更と思いつつ貨幣論を基礎から学び始めるが、ブロックチェーンの理解まではなかなか至らない。かかる時に偶々NHK特別番組「欲望の貨幣論2019」を見た。二時間の長時間番組である。岩井克人氏が次のように解説していく。

 仮想通貨ではコピー防止(二重支払い問題)が最大の鍵となる。そのシステムでは幾つかの取引履歴をブロックとしてまとめ、それらを結ぶコンピューター・ネットワークを取引毎に時々刻々構成し直していく。その際の取引操作は先手優先とし、後は自由に放任する。
 まだ頭の中で霧は取れないが、やや薄日が差す。

 解説は貨幣の根源的な条件や原理にも及んでいく。硬貨は鋳潰すと損になるように、必ず素材価格より高い値にする。十八世紀にオーストリア帝国で発行されたマリアテレジア銀貨が二十世紀まで世界各地で通用していた事例をあげ、硬貨や不換紙幣にとって国家や王権の裏付け保証は必須条件ではない。全ての貨幣はその形態を問わず、「本来無価値な物や数字が価値を持つ」という集団的な錯覚か幻想に基づくという。
 価格が客観的であるのに対し、価値は個人に依存し主観的である。「売る」という行為は売り渡す品よりも価値の高い別の品やサービスを、受け取った貨幣を用いて第三者から将来買い取ろうという期待感、欲望の表れと考える。それは正しく投機で、一種の幻想でもある。人の欲望は際限がない。したがって貨幣は同様の幻想を抱く集団(共同体)のなかでは次々と自己循環(通用)していく。一方で将来不安が生れると貨幣は直ぐに貯蓄へ回されるとのこと。
 私は成程、成程と肯き番組を見続けた。

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