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「800字文学館」

「これでいいのだ」の哲学

斉藤 征雄

 一九六七年は『少年マガジン』で「天才バカボン」が始まった年である。その頃学生だった私は週に一度は下宿近くの喫茶店で漫画を読んだ。少し前に発刊された月刊『ガロ』をはじめ、漫画が学生の必読書になり始めた時代である。

 バカボン一家のキャラクターを見てみよう。
【パパ】バカ田大学を首席で卒業するも定職はなく「これでいいのだ」を信条として日々楽しく自由に生きる。息子バカボンとは友達のような関係。
【バカボン】ヌケたところがあるから、何をするにもワンテンポずれる。パパとは微妙なライバル同士。
【ママ】黒百合女学院卒業。妻として母としてトンチンカンな家族を大きな愛で守る。時にパパを懸命に諫める姿さえ愛らしいアイドル的美人。
【ハジメちゃん】バカボンの弟。タイムマシーンを作り、ピタゴラスの定理やケプラーの法則をすらすら解説する天才あかちゃん。
 その他いつも掃除している【レレレのおじさん】などが登場する。

 世の中ではすでに『少年サンデー』の「おそ松君」が人気を博していたが、同じ赤塚作品でも「天才バカボン」には比類なきものがあった。
 ギャグ漫画ではあるが、そこには人間に対する深い洞察と哲学が感じられた。当時はみずみずしい感性を失っていなかった私は、直感的に衝撃的な何かを感じたのであった。

「天才バカボン」を支えているのが、仏教の哲理であることを知ったのはその後数十年を経てからのことである。
 パパはお釈迦様と同じく、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と唱えた天才だったが何かの拍子にバカになったこと、「これでいいのだ」は仏教の悟りの境地を示している。バカボンは、サンスクリット語のバカヴァーンつまり「悟った人」の意味だということ。ハジメちゃんは、仏教学者中村元(はじめ)博士、「レレレのおじさん」は一生掃除して悟りを開いたインドの高僧がモデル。そして赤塚不二夫は藤雄が本名だが、不二は維摩経の不二の法門からとったと思われることなどである。

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