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「800字文学館」

高野山の道

新田 由紀子

 高野山は標高900㍍の山上にあって、そこに至る道はすべて山を登る。古くからの参詣道、車道、登山鉄道、いずれも山懐を分けて少しずつ高度を上げていく。達した山上の寺町は、3時間もあれば一周できる盆地に横長に広がっている。盆地の東北端は弘法大師の廟所「奥の院」、西端は総本山金剛峯寺の「大門」だ。麓からの表参詣道は登りつめて大門をくぐり、その終着点が奥の院となる。
 盆地を取り巻く山々は八葉蓮華の花弁に例えられる。なかでも高野三山とよばれる千㍍峰の摩尼山、楊柳山、転軸山は奥の院を守るかのようだ。高野山はどこから手を、いや足をつけてよいのか山好きにはこたえられない。
 古くからの参詣道は「高野七口」と呼ばれ、いまはハイキングコースとして整備されている。貴族や武家が通った表参道の「町石道」、京都・大阪からの高野街道を合わせた「京・大阪道」、大和口ともいって、秀吉が馬で駆け下ったという「黒河道」、吉野を結ぶ修験と巡礼の「大峰道」、熊野本宮から果無峠を越えてくる「小辺路」、南麓集落へ通じる物流の「相ノ浦道」、熊野古道中辺路に至る「有田・竜神道」などが高野七口だ。
 これら七つの参詣道が高野山上に取りついた所には「女人堂」が建てられていた。女人禁制の時代、女性の参詣者はこのお堂に籠り、巡り伝って大師の霊場を遥拝したという。女人堂を繋ぐ道は「女人道」といって、盆地をぐるりと一周している。寺町に散らばる寺院の奥へ少し登れば、これに突き当たる。奥の院や大門へも通じ、大門の先で弁天嶽を越えれば、唯一現存する「不動坂女人堂」がある。奥の院を囲む高野三山にも女人道が通じている。摩尼峠の手前で大峰道が、楊柳山の先では黒河道が岐れて麓に降りていく。
 三山に囲まれた廟所の奥に、せせらぎに九輪草が咲き乱れ、鳥のさえずりに満ちた清浄な一帯がある。1200年の昔、真言密教の聖地を求めて山を分け入った空海はきっとそこを目にしたことだろう。

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