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「800字文学館」

デュッセルドルフ空港 1996年夏

志村 良知

 1996年4月12日、デュッセルドルフ空港で火災があった。火炎と煙は、ダクトや通路やエレベーターを通じて複雑多層の空港ビル全域に及び、待合室やビジネス・ラウンジの客16人が死亡、100人以上が重傷を負うという大惨事だった。
 デュッセルドルフには日本の本社筋で繋がっている特別な顧客もあり、空港は毎月のように利用していた。当時はスイス航空の上位マイレージ会員だったのでビジネス・ラウンジはフリー、時には只酒を飲みながら1時間あまりもとぐろを巻くこともあったので、背筋が寒くなる思いの事故だった。

 空港は敷地内の古い建物や格納庫と、バラックやテントをバスと徒歩で連絡するという非常手段で再開された。飛行機からバスに移され、一体どこにと不安になるくらいぐるぐる回り、古い殺風景なビルに連れて行かれて入国審査。バゲージはテント張りの中、出発地が板にペンキで書かれたローラーコンベアに乗せられてガラガラと出てきた。
 展示会にご臨席を仰いだ本社からのVIPは、フランクフルトまでのファースト・クラスの余韻も覚めやらぬうちに、いきなりごった返しの難民扱いに遭って怒り心頭、出迎えの私の顔を見ての第一声は「何だ、この空港は!」の罵声だった。「俺に怒鳴るな、それを言うな」の世界であったが、ホテル・ニッコー『弁慶』での本社奢りの豪華夕食会のことを思い、じっと我慢して空港長代理で謝っておいた。

 出発ロビーも、格納庫を急遽改造した、体育館を幾つも合体させたような巨大な空間にベンチと工業用扇風機を配した殺風景きわまるもので、壁の赤ペンキの禁煙の標語もそのままであった。
 勿論ビジネス・ラウンジなどは無く、飛行機は全部遥か彼方の沖止めで、番号札下のドアから外に出るとバスが待っていた。
 復旧工事は年を跨いで続いたという記憶があり、行く度に様相が違い、到着/出発時の空港での各種手続きの場所や方法が変わっていて右往左往したものである。

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