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「800字文学館」

高い樹木に囲まれて

稲宮 健一

 息子の会社の保養所に宿泊した。軽井沢駅から二十分ほど歩いた雲場池のそばにある。長つゆの曇り空で時折ふる小雨のため夏とはいえ長袖がはなせない。保養所の庭に雲場池の端からつながる小さな池があり、その周囲は背の高い木々が丁度よい広がりで植わっている。部屋の中から庭を眺めると上の方は緑の梢で覆われ、下の方は池と下草の緑一色の風情で見あきることのない樹木の緑陰は目に安らぎを誘う。

 ここを外に出ると大隈レーンと書かれた小道に出た。やはり背の高い木が小道の両側や、かなり自由に区分けされた敷地内に思い思いの別荘が建てれ、そこにも背の高い樹木が植えられている。小雨ではあったが、見上げるような樹木に囲まれた道の散策は清々しい気分になる。この付近では近衛レーンなど名付けられた小道があり、かつての名士の別荘があった名残だろう。

 駅から旧軽井沢に通じる本通りの右手の大賀ホールから万平ホテルに通じる狭いささやきの小道も同じように高い樹木に囲まれている。
 ここは浅間山の裾野に広がる広大な自然林に人手で道を通し別荘を造ったのか。いや、そうではない。軽井沢の別荘地の成立ちを示す歴史館に初期の写真が掲げられていて、かつては今の別荘地から浅間山の山麓にわたり何もない石ころが転がってる緑に乏しい原野だったのが分かる。今の居心地のいい樹木に囲まれた別荘地は総て人の手によって意図的に造られたものだ。

 その足跡は明治十六年(一八八三)に実業家、雨宮敬次郎が落葉松の植林に着手、大正期にわたり合計七百万本に達した。この植林と異なるが、藤村の夜明け前に書かれている木曽の檜、美しい縦一直線に揃った京の北山杉など、みな人の強い意志で木の文化が守られた。ここも同様で、さらに現在の林は戦後の復活を期して植林された落葉松に負うところも多い。
 町の木としては白い花が咲くコブシが決められ、他にハルニレ、ミズナラ、コナラ、などが多く植えられている。

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