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「800字文学館」

日本人の「微笑」

野瀬 隆平

 明治時代に来日した外国人が奇異に感じたことの一つに日本人の微笑がある。愉快で可笑しい時だけでなく、悲しく苦しい状況でもこの表情を浮かべる。その所以を深く考察し、日本人の心的特徴だと捉えたのが小泉八雲でその著書、『日本の面影』で詳しく論じている。

 日本人だけが微笑む場合の例として、横浜に住むイギリス婦人の話を紹介している。
「うちの日本人の女中があるとき私のところにやってきて、とても嬉しい事があったみたいに微笑しながら、実は、私の亭主が亡くなりましたので、お葬式に出たいので……」といった。微笑みを浮かべながら、夫の死を報告することなどイギリス人には到底理解できないというのである。
八雲の解釈はこうだ。
 相手にとって気持ちの良い顔は微笑んでいる顔である。だから、目上の人や自分を良かれと思ってくれている人には、できるだけ微笑を向けるのが日本のしきたりである。「たとえ心臓が破れそうになっていても凛とした笑顔を崩さないのが、社会的な義務である。」

 ここで思い出したのが、芥川龍之介の『手巾』(ハンケチ)である。
 大学教授の家に教え子の母親が訪ねてきた。息子が亡くなったことを告げるためである。だが、婦人は微笑さえ浮かべ、息子の死を語っているようには見えない。しかし、先生がたまたま身をかがめた時に目にしたのは、婦人の膝の上で「手巾を持った……婦人の手が、はげしく、ふるえてゐる」光景だった。感情を必死に押し殺そうとしている姿である。

 東日本大震災の時、被災者がテレビのインタビューに微笑みながら応えているのを見ていたアメリカ人が、大変悲しい状況にありながらなぜなのだろうと疑問を呈した。傍にいたアメリカ人が、たまたま八雲の本を読んでいて、説明してあげたという。
 脈々と伝わる日本人のこの微笑み、多くの人が異なる文化を持つ人たちと触れ合う機会がふえた中にあって、これからも心の中に保ち続けてゆくことになるのであろう。

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