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「800字文学館」

象潟

安藤 晃二

 随分鬱陶しい令和元年の夏であった。九月ともなれば、俳句会で「稲」などと、風雅のお題が上がる。「読売新聞」の「旅」欄の写真に目が止まる。『象潟、多くの文化人が訪れた景勝地、芭蕉も詠んだ入り江の名残』とある。写真では、いつ眺めても堂々たる鳥海山に雲が棚引き、実りに向かう黄色い稲穂の海に、黒松林のあちこちに点在する様が、九十九島の現在を捉えていた。芭蕉の象潟訪問から115年後、文化元年(1804)年、象潟大地震により一帯の地盤が2米以上隆起して陸となる。土地の寺が平賀源内も署名した「旅客集」を所蔵、近年では元台湾総統、李登輝氏の名がある。同氏の2007年の来日は、既に私人として「奥の細道」ゆかりの東北を旅した。その人物像が興味深い。

 李登輝氏は日本統治時代(1895-1945)の1923年生まれ、大学は戦時下の京都帝大で農業経済学を学ぶ。学徒出陣により、名古屋の砲兵隊少尉で終戦。青年時代言わば日本人として日本の古典の教養を身につける。台湾へ帰国後、台湾大で専攻に注力、60年代まで米国留学、とりわけコーネル大学で農業経済学博士号を取得、高い学術的功績を残す。蒋経国総統の知遇を得て、政界進出、台北市長、台湾省主席、副総統、88年蒋経国の死により総統に就任する。与党国民党内での確執を制し、政治の民主化に努め、96年、台湾初の総統直接民選に勝利する。外交面では中台統一路線から、江沢民の軍事威嚇に対立し、独立論に転じ台湾主権国家論に立つ。

 氏は、訪台した日本の高校生達に「日本の偉大な祖先の功績を知り、祖先が作り上げた『日本精神』を大切にして欲しい」と述べる。更には、日本人はいま否定的価値観を持たされ、心理的鎖国に陥っている、日本の気高い道徳的価値観と品格を大切に、歴史を肯定すべきと言い、日本が植民政策の中で、台湾の近代化に大きな貢献をしたと述べる。日本とその文化を愛する台湾の偉人が象潟に芭蕉の足跡を辿る。李登輝氏の存在は歴史の偶然、いや奇跡であろうか。

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