翻訳の感性
「たとえ心臓が破れそうになっていても凛とした笑顔を崩さないのが、社会的な義務である。」
これは、小泉八雲が日本人特有の「微笑」につて、彼なりの解釈を英文で書いた日本語訳である。
この「凛として」という言葉、英文ではどのように表現されていたのか、ある会で話題となった。原典にあたって調べたところ、
“Even though the heart is braking, it is a social duty to smile bravely.”
とbravelyという単語が使われていた。
文学作品の翻訳は、前から抱いていた関心事である。例えば、川端康成がノーベル賞をとったといっても、審査する人たちはほとんど作品を英訳文で読んでいるはずである。従って、どのように英訳されているかが、評価の大きなカギを握っていると言っても過言ではない。
誰もが知っている『雪国』の冒頭の部分。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
さて、英文ではどのように表現されているのだろうか。
“The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.”
これは、アメリカ人であるサイデンステッカーの英訳である。
「自分がノーベル賞をとれたのも、半分は彼の翻訳のお蔭である」と川端自身に言わしめたほどの名訳とされている。
日本の文学を言語体系が違う言葉に翻訳する、主語のない日本語を英語に訳すという困難な作業をうまくこなしているといってよい。どうしても必要な主語に何を選ぶのか。訳者は原典には無いtrain(汽車)を持ってきた。日本文では、汽車に乗っている主人公の存在を読者は無意識のうちに感じているのだが、そのニュアンスは残念ながら犠牲となっているとしても仕方がない。
「夜の底……」の主語も、熟考の末the earthにするしかなかったのだろう。「夜の底」を直訳して、the bottom of the nightと英文で書き出したところで、作者の意図したニュアンスを伝えることは到底叶わない。
人工知能による翻訳が、人間を越えるまでに進化していると言われているが、いくら進んでも文学におけるこのような壁は越えることは出来ないであろう。