協調会―その2 協調会が残したもの
協調会は、労資が協調して社会事業を行うため、政府、財界の協力により1919年に設立された社会政策推進の民間団体である。政策の提言のほか労働争議の調停、失業問題の取り組み、労働者教育など多彩な事業に取り組み、協調的労資関係の普及に努めた。
日中戦争が始まると、労働者の動員と労働組合の弱体化を狙った産業報国運動を主導するなど戦争協力の姿勢を打ち出した。このため戦後強く批判され、1945年GHQの勧告で解散し27年間の歴史を閉じた。
「労使双方が平等な人格の基礎の上に立って、厳正中立の態度を保持し、労資のいずれにも偏せず・・・・」という労資協調主義の理念は当時の政治・経済体制のも下では矛盾を含み理想的に過ぎた。発足当時からヌエ的な存在として労資双方から不信の念を持たれていた。
特に終戦直前に主唱した産業報国運動については戦後厳しく批判され、今も負のイメージが払拭されていない。
今年は、設立後100年、解散してから73年、埋もれている38年間の活動・事業を発掘してみると評価すべきものも多い。
労働時間規制強化を盛り込んだ工場法改正案の提言や労働組合法案の作成、各地に頻発した労働争議の組織的な調整、「社会政策学院」の設置運営、中央職業紹介所の設置など多様な事業は現在の労働政策の先駆的な役割を果たしている。
労働法制が整備れていなかった当時、一財団法人の協調会がこのような事業を進めることができたのは政府内務省の強力な支援があったからである。
協調会事業のいくつかは、戦後一挙に整備された労働関係制度に引き継がれ、現在に至っている。
「社会政策」の企画立案は新設された労働省が行うことになり、また協調会の大きな業務だった労働争議の調整機能は、国と都道府県に新設された労働委員会に引き継がれた。
協調会発足時から続いた社会政策学院は、協調会解散後に中央労働学園大学に昇格し、1972年に法政大学の社会学部となった。社会労働関係の蔵書7・5万冊は法政大学図書館に移譲され,「協調会文庫」として活用されている。