作品の閲覧

「800字文学館」

『里の秋』

野瀬 隆平

 やっと秋らしい気配を感じる頃となった。
 清少納言ではないが、やはり「秋は夕暮れ」であろうか。日の落ちる時分になると、「秋」を唄った日本の抒情歌・童謡が、心に浮かんでくる。
「ふけゆく秋の夜 旅の空の……」で始まる『旅愁』。
「秋の夕日に 照る山紅葉……」の『紅葉(もみじ)』など、知らぬうちにふと口ずさんでいる歌がたくさんある。

 しかし、その中でひときわ心を揺さぶられる歌が『里の秋』だ。
「静かな静かな 里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は ああ母さんとただ二人……」で始まるこの歌を知らない人はいないだろう。
 なぜ心に響くのか。この曲は昭和20年、終戦直後に川田正子が、戦争に行ったまま帰って来ない父親をお母さんと共に待ちわびる子供の心情を、切々と歌い上げているからだ。それ故、多くの日本国民の共感を得た。曲は次のような歌詞で結ばれている。
「……ああとうさんよご無事でと 今夜もかあさんと祈ります」
 昭和21年から始まったNHKのラジオ番組に「復員だより」というのがあった。引き揚げてくる復員兵の予定や個人の消息を尋ねる番組で、そのテーマ曲としてこの『里の秋』が使われた。
 小学生の頃、唯一といってもよい娯楽はラジオだった。「二十の扉」や「鐘の鳴る丘」など、ラジオにかじりつくように聴いていたのを鮮明に覚えている。
 そういえば、「鐘の鳴る丘」の主題歌を歌っていたのも川田正子だった。

 ところで、今回知ったことであるが、斎藤信夫によるこの『里の秋』の歌詞、実は既に日本が戦争に突入していた昭和16年に同じ作者が書いた『星月夜』を改変したものである。
 戦いの最中であり、兵隊に行ったお父さんの帰りを待ちわびる歌詞では勿論なかった。
 3番には、「……ああ父さんのご武運を 今夜も一人で祈ります」とあり、最後の4番は、「大きく大きくなったなら兵隊さんだようれしいな ねえ母さんよ僕だって必ずお国を護ります」で終わっている。

 正に、歌は世につれ世は歌につれである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧